2011/06/30

歩いていると、目の前に大きな岩が。


歩いていると目の前に大きな岩が落ちてきた。
どうする?

パンチで壊す。
蹴り飛ばす。
爆破する。
持ち上げる。
押していく。
ジャンプする。
羽をつけて飛ぶ。
戻って別の道を探す。
何とかギリギリで岩を避けて通る。
誰かに頼んで岩を撤去してもらう。
岩にミサイルを打ち込んでもらう。
目からビーム。
誰かに助けを求める。
どこでもドアで通り抜ける。
スモールライトで小さくする。
自分が巨人になる。
そこを迂回して通れる道をつくる。

目の前に大きな岩が落ちてきたって、
石の前でただただ立ち尽くす以外に解決方法はいくらだってありますわね。
ついつい忘れがちなのだけども。



2.0 Lが6本入ったものが2箱で、

2050円で送料無料。夏に向けて頼もしいよね!

2011/06/29

断捨離ブームでシンプルブームなのだけど。


断捨離ブームになってからか、
シンプルであるべき、みたいな風潮があって、ビックリする。
何でもかんでも、シンプルであるべき。
無駄は徹底的に排除すべきっていう、それが断捨離であるぞと。

だけども、無駄があって、生まれてくるものっていうのが多い気がするのだけど、
どうなんでしょ?

凄く簡単に例えれば、会社や学校から家に向けて一直線に帰るのが一番早いのだけど、
遠回りすることで、知らないお店や店や風景があったりして、
それがおもしかったりするし、
自分は興味がないと思いながら見ていたテレビの番組や本の記事が、
他の人との会話の中で思わぬ盛り上がりを見せたり。

だから無駄をしましょう、っていうことでもないのだけど、
損得勘定で考えることを少しやめて、
もうドブに捨てた!どっか落とした、しょうがない!って思って、
何かを買ってみたりするのも良い気がする!
断捨離ブームでシンプルな生活も良いけども。

無駄するってことは、無駄を知るっていうことでもあって、
無駄を知るっていうのは、必要を知ることにも繋がると思うですよ!

何よりも、無駄なことは楽しい。

2011/06/25

空ぶ鳥の。



煩わしさも、雑踏も、見下ろして、
空を泳ぐ鳥の顔がなんとまぁ。


元女子バレーの選手の言葉を聞いて


いつだったか、
女子バレーの元オリンピック選手の方がテレビに出ていた。
背丈が大きいこともあって、子供の頃からバカにされていたそうだ。
しかし、恩氏がこういったそうな。
「君は背が高いから、バレーなんか向いているんじゃないか。考えた方、見方、次第だ」と。
彼女は、バレーを始めた。
バレー選手はガードするのもアタックを打つにも背が高いほうが有利だから、
周りの選手は皆うらやましがったし、皆が応援をしてくれたそうな。

こんな話を思い出す。

アメリカのNASAは、宇宙飛行士を最初に宇宙に送り込んだとき、無重力状態ではボールペンが書けないことを発見した。
これではボールペンを持って行っても役に立たない。
NASAの科学者たちはこの問題に立ち向かうべく、10年の歳月と120億ドルの開発費をかけて研究を重ねた。
その結果ついに、無重力でも上下逆にしても水の中でも氷点下でも摂氏300度でも、どんな状況下でもどんな表面にでも書けるボールペンを開発した!!


一方ロシアは鉛筆を使った。

彼女は、思い出しながら語った。
恩氏の「考え方次第、見方次第、という言葉がなかったら」。

誰にでも、人生を変えてしまうような言葉や出会いがある。
その言語や出会いを受け取ったら、
あとは自分で何とかするしかない。

2011/06/24

断捨離をやっている、または、やる、人。


断捨離っていうキーワードで検索をする人が多いのですが、
そこで気になるのは、
断捨離をしているのでしょうか。今。
それとも、やろうとしているのでしょうか。今。
という具合で、
している人からすれば、参考にならないと申しましょうか、
断捨離とはどうしてなんぞえ、という理屈を考えては書いている故に
少し方向なるものが違う気もしておりますが、
これからやろうと思っている方々はやってみれば良ろしいと思うの、
この無責任。
しかしね、ワタシも前はDVDを集めたりしていたのだけど、
いざ、売ってみると、何ともないというか、
じゃぁ、その買っていたDVDを何度も見たの?拝見したの?
といえば、観る作品っていうのは決まっているし、何ヶ月に一回という程で、
レンタルで良いじゃない!ということだったし、
並んでいる感じが良いのだよ、並んでいる感じ。
というけども、そのスペースとかそれを収納するものも買わないとならなかったりで、
捨ててみたり、売ってみたりして、死ぬことなんてないし、
なければないで、そういうものかな、と環境適応性を発揮しちゃってね、
本当に自分が今、こだわりたいものが見えてくるもののような気がしちゃってます。
勿論、例に出したDVDが大事だ、宝物だ、という人は、それを大切にすれば良いと思うし、
そういうのこそが大事だと思う。

何を言いたいかといえば、迷っているならばやってみれば良いということで、
お金がかかるなら考えちゃうけど、
売ったり捨てたりで、お金が増えることがあっても、減るものでもないし。
やってみて、それでもやっぱり!って思えるものなら、
それはあたらためて集めるとかすればお金がかかるかもだけども、
見え方も更に輝いちゃうマジック。


aikoのマスターピースは、小さな丸い好日だと思っています。

2011/06/23

ワタシは、今、眠い。


ワタシは心底眠い。
日付が変わって、1時。午前の1時。
身体が熱くなるような、頭が熱くなるような、
瞼は落ちてきて、とっても重くて、
瞼っていっても、目の蓋なのだから、メブタでしょうにとか
考えてしまう頭も重くて、
もう思考するのもしんどくなってきてしまうから、
ワタシは無意識、意識とは逆の位置に存在するカオス、
無意識でキーを叩く、叩く、叩きまくるっているのだから、
一体、この文章が何であるのか、明日になって考えてしまうのだろうか、
寝て起きれば、そんなことすらも忘れていて、
瞼が重かったことも、今、どれだけ眠いかということも、
頭が熱くなっていることも、忘れてしまって、
ワタシはあれね、今はもう脳も心も眠いという眠りというものに汚染されているのだし、
夢を見たとして、夢をバクが食べるような夢すらも見ることがなくて、
寝ているときに、水に触れさせると夢の中で海にいったりそういう水をイメージさせる
夢を見るのらしい。
ホント、どうでもいい。
この眠さに比べれば、春の陽ぐらいしか適うものはないのではないだろうか、
ワタシは目を閉じる。
呼吸が低くなる。
肩が落ちる。
頭も落ちる。
脳の脳の中に、隙間のような養分のようなもの何か管のようなものが
入り込んでいくような感覚になっている。
ワタシは、今、眠い。

ドロイド君フィギア欲しい。

2011/06/21

パソコンの買い替え時期


ワタシはパソコンの買い替えについて考える。
電気屋の中。
店員が寄ってきそうになるものだから、来るなオーラを全身から発生させ、
マイナスイオン。のイオン部分をとった感じ。

ネットで調べてみると、買い替え時期は1年で変える人から5年使う人からそれ以上の人もいて
答えは出ないけども、
そんなことを考えている時点で、仕事や作業に支障が出ていたりするのだし、
飽きている場合もあったりして、なんでしょうねぇ、
と、店員に言ってみたい気になるのだけど、
どうせ、まぁ、はぁ、という曖昧な答えしか出ないのだから、言わない。

個人的に考えるのは、
高いパソコンを買うよりも、型落ちを買って、
短いサイクルで買い換えればいいんじゃないカナ?という具合で、
15万円のパソコンを買うよりも、
8万ぐらいのパソコンを買えば宜しい、というもの。
だって、15万円のパソコンを4年使うのと、
8万円のパソコンを2年ごとに買い換えるのと考えれば、後者のほうが気分がいいい。
い、が一つ多くなるぐらい、いいい。
2年も経つと、その当時に14万ぐらいしたものが、まさに8万程で変えちゃうのだし、
ネットにメール、音楽鑑賞に、仕事のオフィスソフトを使うぐらいなら、
スペックも何もないでしょうに、というものだし、
今じゃ、ほとんどをネット上でやる時代になっているのだから、
パソコンのスペックはほぼ関係ないようなことになっているのではないかね。
と一人で呟く。思考する。

だからどうしたという話だけども、
せっかくのblogなのだし、自分のためだけに書くのです。
意思表示。
意思整理。

2011/06/19

雨が降るということは、



雨が降るということは、
草木が育つ、ということです。
まぁ、そういうことです。


2011/06/18

夜中の時計。



夜の12時。
ワタシは今日という日を終えようと、布団に入る。
その行為は、敷き布団とかけ布団に挟まれるというもので、
布団に入るというよりも、挟まれに行く。
という事のほうが正しいかもしれないが、
一体誰がそんなことを気にするというのだろう。


部屋には時計の音だけが響き渡る。
ワタシは寝た。
起きているという自覚はあるのだけど、
寝たという自覚はないままに寝た。


そうして、ふと何の前触れもなく目を覚ます。
それは一体何故であって、どうしてであるのか、
それはわからない。
だけども、ワタシの自覚は、寝ているという無自覚から、
起きているという確実な自覚に変わる。


その確かな自覚のまま、
時計を見ると、午前3時。


ワタシが起きるべき時間は、朝の7時。


残り寝れる時間は、4時間。


4時間を、たった4時間と考えるか、4時間もと考えるか。
コップに入っている水を、半分しかと考えるか、半分もと考えるか。
ワタシは、確実に4時間しか半分しかと考える口で、
半分も!と考える考え方に憧れているし、
絶対にその方が世の中を前向きに生きていけるんじゃないかと思っている。
そう確信していると言ってもいい。
案にワタシの憶測だけども。


今日のワタシの日記が終わろうとしている。
ただ、確実に、今日の日記が書き終わる。
という事実だけを残す。
そして、眠りについている、ワタシの1日も終わっている。


ワタシ シリーズ:


やりたいんですが・・3DSがありません。

2011/06/16

ふと、我が言葉を見る。


分の言葉を拾って見てみる。
そうすると、ご飯が不味いと言っていた。
外が寒いと言っていた。
お金が欲しいといっていた。
どうせなら、他の誰かが拾っても拾っても、
うれしくなるような言葉を捨てたいなぁ。

タクシードライバーのイカレっぷりときたら。
リンク:詩シリーズ

2011/06/15

断捨離と断ること。


断捨離関係のことを語ると、
物に執着しがちなのだけど、実は生活っていうことも同じぐらい大事で
appleのスティーブ・ジョブズがNOという理由みたいなニュースサイトを読んでいたら、
無闇矢鱈に断っているということではなくて、
NOと言い続けることで、必要なものが見えてくる、
NOというのが悪い意味で断るということではなくて、洗練するという意味で
使われていて、
同時に思い出すのは、勝間和代の「断る力」という本。
立ち読み程度で読んでみると、
同じようなことが書いてあって、何でもかんでも頼まれものを受けていると
時間がなくなり、一つ一つの作業が疎かになったり、
自分の時間もなくなってきてしまうため、健康状態の悪くなり、精神的にも追い込まれていくし、
それが仕事の出来にも影響するという話で、
断ることで、自分がやるべき事柄に対して、ベストを尽くすことが出来るようになるという話。

断捨離というと、物を捨てたり買わなかったりという印象が強いけども、
日常生活の中での、「付き合い」っていうのも、
無理にして行くものでもないし、
仕事でも、無駄だと思うことは、断れない立場とかあるのだろうから、
適度に力を抜いてみたりすることが、
効率に繋がったりするんじゃないかと思ったりするのです。
それもまた断捨離ってことで。

震災から3ヶ月が経ち。


もう3ヶ月が経ったのか、というのが正直な感想で、
それでもニュースを見れば、被災地が住める場所になっていっているのを見ると、
人の力強さを感じるし、
同時に、まだ原発の問題も仮設住宅の問題も一時帰宅の問題も、
3ヶ月前は認識出来なかった問題をあらためて再確認します。

昔から、宗教の話と政治の話、それと野球の話はするなと言われてきましたが、
そんな素人のワタシですら、今の政治家の皆さんには呆れてしまい、
きっと、彼らの欲しいのは、
モメるための、政権を取るための、口実と言い訳の種なんじゃないかと思ってしまうし、
現地で頑張っている自衛隊の皆様やお医者様やそこで暮らして商売をしている方々などの
妨げにだけはなって欲しくないと願うばかりです。

こんな例え話を思い出しました。

ある男が、深い穴に落ちて出られなくなった。
彼は、穴の近くを通りかかった医者に「助けてくれ!」と叫んだ。
すると医者は処方箋を書き、穴に落として立ち去った。 
次に、穴の近くを神父が通りかかったので、男は神父に「助けてくれ!」と叫んだ。

すると神父は祈りの言葉を紙に書き、穴に落として立ち去った。 
次に、穴の近くを男の友人が通りかかったので、男は友人に「助けてくれ!」と叫んだ。

すると友人は「よしわかった」といって、穴に飛び降りた。
男が「馬鹿だな、一緒に落ちたら、引っ張り上げてもらえないじゃないか」というと、友人は「大丈夫だ、俺は前にも落ちたから、登り方を知っている」と答えた。
(the west wing より)

1日も早い復興と風化しないことを願うばかりです。

2011/06/13

そうして、ワタシはコンビニに立つ。




キュウリを嫌うことにも飽きて、
ふ菓子を食べることにも満足して何をしたか?
ワタシは、コンビニに立っている。
コンビニの中の更にカウンターの中に立って、
お客に施しをしている。や、施されている。


平日の午後の5時。
高校生が店内に入ってきて、まずはジャンプの立ち読みを始める。
それが終わると、ジュース売り場に行って、思い思いのジュースを手に取っている。
その仕草に一切の迷いがなく、本能のように手に取る。
そして、お菓子売り場やパン売場などをひと通り歩いた後に、
カウンターに立つ。


袋いいです!


と言って、財布をレジの端末部分にあてがって、帰る。
電子マネーのため、煩いやりとり一切なく、
わずか5秒程度のやりとり。
彼らの人生の中で、コンビニでジュースを買うという行為は
わずか5秒のことで、1日の中でも、それは変わらず、
風のようでもあるし、幻のようでもある。
というのは、言い過ぎだと思う。


次に来たのは、いかにも、今風な、
今風というのは、悪い意味で使っている今風なのだけど、
150円です!
と言っても、無言でお金を投げるように出す人たちのことで、
立ち読みした本を元の場所に戻す可能性は20%程の人たちのことで、
そういった人たちに、
袋はどうなさいますか?そのままで宜しいですか?
と聞いたときの反応が、
宜しいです、
と思わず言ったときの相手の反応が、主に顔が、見れない。
きっと、心の中で、
ベー!言っちまった。いいよ、とかニヒルにクールに言うつもりが、宜しいです、だってよ。俺。
っていう具合が垂れ流しで顔から見て取れる可能性がある以上、
見れない。


ワタシはそうして、ありがとうございました。
と一礼をして、
いつもの施し、や、施される、日常に戻る。

2011/06/12

断捨離からオタクへ。


何かが流行るときっていうのは、
誰が儲かったり、得をするように出来ている気がしていて、
例えば、AKB48が流行っているとして、
アキバで少し話題になっているぐらいで、
実はそんなに流行っていないのに、テレビや雑誌で流行っているという報道をすると、
10個中、1個ぐらいは本当の人気になる。
そうなれば、そういったものを扱っている媒体は儲けがうまれるので、
更に流行っている、という報道が加熱する。
CMや映画なども出演させれば売上があがるので、さらにメディアへの露出が増えて、
流行っているように感じる。
そのループ。
勿論、それが全てではなくて、単純な才能や魅力で人気が出る場合もありますが、
特に一時的なものは、そういうったことが多い気がします。

では、断捨離で誰が儲けるのか、と考えれば、
そういった特集を組む雑誌などでしょうが、
基本的に、断捨離は、買わないで捨てましょう、シンプルに。という考えがあるので、
そういった特集を組んでも買わない人が多い気がします。
とすると、どうして流行ったのか想像してみると、
選ぶものが増えすぎてしまったに他ならない気がしてならないのです。

例えば、ファッション。
服を去年買って着れるのに、今年の流行りじゃないから着ない、
それに合わせて、靴や髪型も変えなくちゃいけない。
何が流行っているのか、これから流行るのか考えならファッション誌をめくる。
同じ服でも何十種類も色があるから、色違いで買ってみる。
もちろん、それに合わせて再び靴も・・。

そういったことに嫌気がさした人たちが、
もっとシンプルに好きなモノを好きなように、と言い出したものが断捨離なのかもと。
そう考えると、最強の人種は、今、オタクなんじゃないかと、
脳のシナプスは飛躍したのです。

ヲタクの人たちは、自分の好きなことだけに集中をして満喫をして満足をします。
それが周りからどう思われていようが、何ら問題ではありませんし、
それで他人に迷惑をかけるわけでもありません。
例えば、オタ芸をする人。
音楽を聞きに来ているのか、アイドルを見に来ているのか、オタ芸をしにきているのか、
わかりませんが、彼らはとても満足そうで幸せそうです。
コスプレイヤーも同じで、何万円もする服を買っては着ているのですが、
そこに断捨離という言葉はなく、自分の好きなものを来て嬉しそうです。
アニメにも流行り廃りがあるでしょうが、自分の好きなアニメなので、
流行が終わろうが問題ないでしょうし、次のアニメに興味を示す人もいます。

先ほど、ファッションを悪い例としてあげましたが、
ファッションが好きで仕方ないという人は何ら問題ないと思います。
好きならば、いくらでも時間とお金をかけるべきだと思います。

前回も書きましたが、自分が興味がないことに振り回されないで、
好きなことに労力や時間、お金を注ごう、というのが断捨離の肝みたいなものじゃないかと
思っております。

相変わらず、断捨離関係の本を一冊も買ったこともないので、
「ワタシの考える・・」です。あしからず。

2011/06/10

いつか、コーヒーを飲みながら語ろう。


道路の真ん中にさ、コーヒーを置いてみたいのね。
それをそうね、10分でいいから眺めてみたいんよ。
道路がコーヒーの温度を奪っていって、それでホットコーヒーがアイスコーヒーになって、車が来てこぼしていってさ、それでも、コーヒーは最初から最後まで、液体なのよね。
道路の灰色っぽい面に対して、コーヒーの茶はとってもいいと思うのよ。もう、絶対にいいと思う。
鮮やかで艶やか。でね、その光景をいつかコーヒーでも啜りながら言ってやりたい。
コーヒー屋でね、隣の席の人に対して言ってやりたい。
私は、コーヒーを、道路に置いて、それを眺めていたら、車が通ってコーヒーなんて目に入りませんっていう具合でこぼしていってね、
一体にコーヒーをばらまかれて、一体に香りが香って、茶色が広がってね道路の面に敷かれている灰色のアスファルトがそれを助長して、
その灰色と茶色の交わる光景の姿。
きっとその人はその光栄を想像して、嗚呼って身震いすると思うのよ。


100本入って、この価格。頼もしいよねぇ。

2011/06/09

本とじじぃと書く理由


その本屋に初めて入ったのは、中学生ぐらいのときだったと思います。

店内は新刊やら返本を忘れた本やらで溢れかえり、それでいて暗く、さらにカビくさいというもので、
でも、中学生でもエロ本を売ってくれるという店で大変に重宝していたお店で、借金があるだの、店主に名前を覚えらると名前で呼ばれるだのとまぁ、本当に変なお店でした。
その古本屋のおじいさんは、奥の方にいつも座っていて猫と話をしておりまして、今日は寒いねぇーお客さんが来ないネェーなどというのですが、
私がいるのだから客はいるはずですが、まるでいないように話をしては、そういったことはそれほど問題ではないようでしたし、それが普通の光景として馴染んでいました。

そんなおじいさんですが、私たちの欲しい本は絶対に探してくれると評判で、
例えば恋愛の悩みを言えば、そこの上から2つ目、会社の悩みを言えば、左側の下にあるやつ、家族の問題はコレ、エロ本ならこれだ!絶対!!となんでも本を紹介してくれました。

そのおじいさんがいつも猫に話していたことがあります。
本はヒントをくれるけど、それはヒントで答えじゃないよ。
本は答えをくれないよ。
本を読んで、そうだ、その通りだと思ってもそれは嘘。
いつか自分で悩んで考えてそれでハっと答えが出たときに、その本に書かれていることの意味がわかるってもんだ。凸と凹みたいなもんだね。
だから、いくら本を読んだって答えがわからないことばかりだ。

それを聞いていた私が、ならばその答えの出し方がわかるような本はないのですか?と口を挟むとギョっとして、そんなものがあるもんか、
あるとすれば、それは自分で書くしか無いはずじゃないか。馬鹿者。
と答えて、それでも、それでも、もしもキミが何かを書こうと思うならば、それはきっと誰かのヒントになるだろうね、と言って、
再び猫にご飯を食べようかねーお散歩に行こうかねーと話かけていました。

その間、猫は寝てみたり、そっぽを向いてみたりしていました。


誰か、プレゼントして下さい!

2011/06/08

断捨離は節約と違うと思うの巻。


ふと、断捨離の根本として思ったのは、
断捨離=節約ということじゃないということで、
実は、それがとても重要なんじゃないかと思うのです。

節約をしたい、だから不要なものを捨てて、不要なものを買わない、その結果、貯金が出来る。

という流れではなくて、
自分にとって、今必要なものが何かを考える、
その考える行為が断捨離かもよ。

断捨離と言うと、服を減らそうとかテレビを売ってしまおうとか、
手段はあるのだけど、
服がたくさん必要な人はたくさんあって良いはずだし、
テレビが必要な人は、1日テレビをつけていたって良いと思う。
でも、必要じゃない人は捨てちゃおう!っていうことで、
繰り返しだけども、それを考えるのが断捨離よ。きっと。

本やblogに書いてあるからマネをしました、だと結局、
一過性のブームで終わってしまって、
また別のものを買ったり、増やしたり、
その逆で、節約や買わない、ばかりを意識してしまって、
生活が不便になったり、それが原因でストレスになってしまっては、
断捨離以前の問題で宜しく無いわけでして、
高額でもお金をかけるところはかける、
物理的に量が多くても必要ならばたくさん置いてみる。

まとめの繰り返しだけども、
自分の生活に合ったものを考えるのが断捨離で、
物がなくて不便で、ストレスになったり、生活の効率が落とすのは、
断捨離でも何でもなくて、
木を見て森を見ないのと同じかもですよ。


無駄だと思っていても欲しい物がある!

2011/06/07

冷え性(加筆・修正)


ボクが足の冷え性が進むということと、
地球の温暖化が進むということと関係があるのかと考えて見たけれど、
考えれば考えるほどに、
全く関係がないという事実を認めなければならず、その事実を受け止められずにいるのが、
ワタシは今、浴槽。

お風呂に入るときのことを思い出し思い出し、書いてみれば、
冷えきった足を湯の中につっこもうとすると、
足は冷たいことに少しの誇りでも持っているように、
温かくなんかなるものか威勢よく攻撃を開始。
相手は、温かくしようとする軍勢。
これを世に言う、冷え性の合戦と言うべきもので、
大将は、冷え将軍、対象は冷え性。
とインを踏んでみて、一人、フフフと笑っている、ワタシは今、浴槽。

だけども、多勢に無勢で、
スパルタカスの300人をも凌ぐ冷え性軍も、
戦国時代にタイムスリップした自衛隊であっても、
それらは関係なく、
ホクホクとしてきて、負けるのであった。
意図も簡単に。簡潔。

ここで取り残されてしまったワタシは、
なんらこともない、「嗚呼・・」と今日の疲れを、この二文字に託すのです。
ただ、それだけなのです。
それで、おしまい。

お風呂から上がって、30分もすると足がこれは作戦なんです、とでも言うように再び冷え始めるであろう。
彼は言う。
「パール・ハーバーを忘れるな!」

しかし、ワタシは今、浴槽。
そんな先のことを考えるにも値しない。

修正前の冷え性リンク:冷え性

ファンならずとも、欲しいブルーレイ!

2011/06/06

キュウリは嫌いだが、好きなモノがある。



キュウリが嫌いなワタシにも好きなものがある。
それは決して不思議なことではないし、驚くことでもない。


平日の午後の3時。
ワタシは図書館にいる。
館内には、平日だというのに、学生がいて、この本を読んだことがあるだの、おもしろかっただのと
騒いでいて、外には、右手のビールの缶を持ったオヤジがいて、ベンチに座っている。

私は、キュウリが嫌いだ。
しかし、ふ菓子が好きだ。


ふ菓子の「ふ」の部分がお麩っぽさを表わしていて、字も好きだ。
「ふ」を「麩」なんて書くと、あのふっぽさが大にしになる。


ふ菓子の魅力を語るのは、実に難しい。
というのも、ふ菓子の魅力は魅力がないところが魅力なのだ。
グルメレポーターが言う。
歯ごたえがあっていいですね!この弾力のある触感がたまりませんね!
言っておくが、ふ菓子にはそんなものはいっさいない。
断じて無い。
むしろ、その逆である。
そこにあるのは、途方も無いカスカス感。
そこにかすかに存在する感じ。
ないようで実はある。この確信。
そうして、コーティングしている砂糖。
表面前面に押し出されているにも関わらず、カスカスのふには太刀打ち出来ないのだ。


そんなことを考えながら、
外を見ると、さっきのオヤジは自転車に乗って、遠くへ行ってしまった。
相変わらず、学生は、これはつまらなかっただの、エロイだの騒いでいる。


周りの人は、ワタシがふ菓子の妄想をしているなどと思ってもいないだろうし、
ワタシがふ菓子を好きだということも知らないだろう。
そして、決して教えるつもりもない。
教わるつもりもないだろう。


私は村上龍の「希望の国のエクソダス」を手に取る
物語には、ふ菓子というフレーズは一切出てこない。
しかし、何故だろう。
主人公でもあるポンちゃんを見ていると、ふ菓子のような掴めそうで掴めない、
実在しそうで実在しない、偶像とでも言うのか、魅力が溢れている。


図書館の帰りに、スーパーマーケットに寄ろう。
ふ菓子を買おう。
口の中がカラカラになるまで、食べよう。


関連キュウリ:ワタシはキュウリが嫌いだ。



今、たった今、聞いています。

2011/06/05

15秒の真理。

いつだったか、多分、小学校頃だったと思うのだけど、
わずか15秒のCMのセリフが忘れられず思い出すのは、
不平不満を言うよりも、進んで明りを消しましょう。」という言葉。


ハッキリと覚えていないのだけど、恐らく、
部屋に入ると電気がついてなくて暗い。
もしくは、部屋に何人か人がいて、暗くなったから電気でもつけようか、という話になったのかもしれないけども、
何にせよ、
暗い、暗い!と文句を言って誰も自ら電気をつけようとしないのだろう。


そこで、すかさずナレーションが言う。
不平不満を言うよりも、進んで明りを消しましょう。」


15秒の真理とでも言うべきか、んま!ってなるしかなくなる。


「小さいことにくよくよするな!」にも同じようなことが書いてあって、
街か口園か、住んでいるところにゴミが落ちていることが気に入らない作者は、
いつも「またゴミが落ちている!」と不平不満を言っていた。
ある日、自分でゴミを捨てよう!と思い立って、ゴミを捨てるようになると、
周りがキレイになって、そこで過ごす自分の気分もよくなったという。
そうして、その活動は付近の住民へと派生していった。


という話で、三毒追放でも書いたのだけど、
文句ばかりを言っていると、気がつくと自分の気持ちも荒んできて、
結局、自分が苦しくなってしまって、楽しい思いも久しからず。


それが、15秒の真理です。


前に書いた:三毒追放

2011/06/03

断捨離は先人の知恵でしょうか。

断捨離で検索してこちらをご覧になる方も多く、
それでいて、断捨離の本を一冊も読んだことがないことに関して、
何やら申し訳ないやら・・どうしたらものやらと思いながら、
立ち読みだけでも、立ち読みをしてみれば、

断捨離をしながら、良いものにはお金をかけよ!生活には統一感をもたせよ!

という記述がありました。
案の定、時間にして1分程度サラリと読んだだけで、それが一体なんであるか。
しかしながら、年配の主婦の方々に聞いてみれば、
それは断捨離以前に当たり前の話だという。
つまり、断捨離とは特別なものではなく、生活の知恵のようなものに他ならないようです。

つまるところ、貧乏人の銭失いという話で、
もっといえば、安かろう悪かろうである。

こんな経験が多分にして多くの人にあるのではないかと思うのが、
百均の商品。
たしかに、最近は便利なものやデザイン性が高いものも増えているけども、
それは一部で、すぐに壊れてしまうものも多く、
壊れて思うのは、百均だから仕方ないよね・・という具合。
そこで結局、しっかりとしたものを買い直すことになってしまい、
だとするならば、最初からしっかりとしたものを買っておけば、
お金もかからなかったし、2度も買う手間も発生しなかったことになる。

また、安いからといってデザインや使い勝手を我慢してしてしまうのも良くない、
というのも合点がいく。
とくに毎日使うものはそうだろうと思う。
例えば、タオルがボロボロになっているのに、断捨離だから・・などと我慢しては、
せっかくお風呂でサッパリしても、そのボロボロのタオルで気分が悪くなってしまう。
枕でも同じことが言えるもしれない。

統一感を持たせよ!というのは、どういうことか。
それは、好きなメーカーやブランドを持つという点なんじゃないかと思う。
わりと、家の中の家電は全てSONYで揃えていますから!という人がいたり、
お金がある人は、全身CHANELです!なんて人もいる。
それが何なのか?というと、
まず買うときに迷わなくて良いという点が大きい。
一つのメーカーの中で選ぶのと、全てのメーカーの中から選ぶのとでは、その労力の差は大きい。
服などもブランドも同じで、その容姿に統一感がうまれるとスマートに見える。

ここまで書いて、パソコンやらケータイの話やらに派生をしたくなったのだけど、
それはまた別件となる故、後日書くことにして、

断捨離を意識した生活も良いけども、それが苦となっては元も子もなく、
断捨離=節約などと考えてしまって、
趣味を疎かにしたり、楽しみに費やす時間や費用を削ってはならなるまいにと、
あらためて思ったのです。

前にも書いたかもしれないけど、
欲しい欲しいの生活から持たない、要らないの生活を望むなど、
それが良いのか、悪いのか。


買わないけど・・欲しいものは欲しい!
そんなジレンマ。