キュウリが嫌いなワタシにも好きなものがある。
それは決して不思議なことではないし、驚くことでもない。
平日の午後の3時。
ワタシは図書館にいる。
館内には、平日だというのに、学生がいて、この本を読んだことがあるだの、おもしろかっただのと
騒いでいて、外には、右手のビールの缶を持ったオヤジがいて、ベンチに座っている。
私は、キュウリが嫌いだ。
しかし、ふ菓子が好きだ。
ふ菓子の「ふ」の部分がお麩っぽさを表わしていて、字も好きだ。
「ふ」を「麩」なんて書くと、あのふっぽさが大にしになる。
ふ菓子の魅力を語るのは、実に難しい。
というのも、ふ菓子の魅力は魅力がないところが魅力なのだ。
グルメレポーターが言う。
歯ごたえがあっていいですね!この弾力のある触感がたまりませんね!
言っておくが、ふ菓子にはそんなものはいっさいない。
断じて無い。
むしろ、その逆である。
そこにあるのは、途方も無いカスカス感。
そこにかすかに存在する感じ。
ないようで実はある。この確信。
そうして、コーティングしている砂糖。
表面前面に押し出されているにも関わらず、カスカスのふには太刀打ち出来ないのだ。
そんなことを考えながら、
外を見ると、さっきのオヤジは自転車に乗って、遠くへ行ってしまった。
相変わらず、学生は、これはつまらなかっただの、エロイだの騒いでいる。
周りの人は、ワタシがふ菓子の妄想をしているなどと思ってもいないだろうし、
ワタシがふ菓子を好きだということも知らないだろう。
そして、決して教えるつもりもない。
教わるつもりもないだろう。
私は村上龍の「希望の国のエクソダス」を手に取る。
物語には、ふ菓子というフレーズは一切出てこない。
しかし、何故だろう。
主人公でもあるポンちゃんを見ていると、ふ菓子のような掴めそうで掴めない、
実在しそうで実在しない、偶像とでも言うのか、魅力が溢れている。
図書館の帰りに、スーパーマーケットに寄ろう。
ふ菓子を買おう。
口の中がカラカラになるまで、食べよう。
関連キュウリ:ワタシはキュウリが嫌いだ。
今、たった今、聞いています。
0 件のコメント:
コメントを投稿