2011/03/30

詩、詩ー?


ラーメン屋に行きまして、
ラーメンを頼むと、当たり前のようにラーメンが出てきましたので、
食べようとすると、
ラーメンの中にパスタが混ざっていました。
そこで、「あのーラーメンの中にパスタが混ざっていますが・・」
と聞くと、
「まぁー、そういうこともありますわね!」
という元気な返事。

ラーメン屋に行きまして、
ラーメンを頼むと、当たり前のようにラーメンが出てきましたので、
食べようとすると、
ラーメンの中に蕎麦が混ざっていました。
そこで、「あのーラーメンの中に蕎麦が混ざっていますが・・」
と聞くと、
「文字通りの中華蕎麦ってことで!」
という元気な返事。

ラーメンの中にうどんが混ざっていました。
そこで、「あのーラーメンの中にうどんが混ざっていますが・・」
と聞くと、
「得しましたねぇ!」
という元気な返事。

まぁ、そういう詩です。





2011/03/27

チューリップが綺麗なこと。


花に、あんたはキレイよねぇー、と言ったところで、
それはずっと当たり前のことで、
「はぁ。」という気がない返事。
なにかねー。これ。

2011/03/26

無想


カップの蕎麦はどうにも食べる気がしません、そういったことと関係のない次元の話で、若者に合わせてアーティスのと人の名前なんて覚えようしたってさ、覚えて頃には次の人が流行っているもんだから、覚えて意味なんて全くないわけで、もう年配扱いよね、しかし、炊飯ジャーに残ったご飯は硬く硬く、それは硬くお茶をかけてもビクともしませんで、食べていると急に口の中に刺さってとどろきますが、そんなものは冬の寒さと比べれば何のことはありませ、とここまで書いて、コメが硬いのと外が寒いのと比べることじゃないことに気づかれ、それについての答えた出たと思うと急に小腹がすくけど、減るけど、手元にあるのは牛乳、ミルクでは何の足しにもなりませんがグビっと飲ます飲み干します、僕の中でカルシウム、Caが骨を作り、骨が僕をカタチ取り、僕は世界の一部をカタチ取り、それは周りの集まった人たちをもカタチ取り、渡り廊下ですれ違って目があってそれで勘違いなんかしちゃってさ、足が浮くいているのか、それとも渡り廊下だから浮いているように感じるのさ、それはもう、つり橋で告白すれば成功率が上がるっていう理屈みたいなもんで、体育館裏の成功率っていうのは、一体どれほどアップするのかそもそも体育館裏に人が来ないっていう理屈が通るならば、そこにはヤンキーが集まるはずで、その賭けときたら、ドキドキ疾走青春滑走妄想暴走可哀想で、そのドキドキでやはり成功率はアップなのだろうか、そんはずはなく、そうなれば、犯人らしい人をつり橋に連れてきて自白させようとすれば自白率が上がるっていうことと、体育館の裏で自白させると自白率が上がるっていうことと、それはやっぱり関係ないのでして、嗚呼、忘れかけていた小腹がやっぱりすいて、何を書こうとしているんだろう、私僕オレME、書いている本人がわからないのだから、これを読んでいる人は何を掴もうというのか何を感じようというのか、それはもう何の謝罪も受け付けません、それはもう何の弁解もありません、ここまで読んでくれてありがとう、でも、本当に何も残らないよ、何もないよ、いつまでも続いてしまいそうなこの言葉と言葉、このままでは言葉に埋もれて呼吸も出来ず、気がつけば身体が文字になって文字として伝えようとする、これすなわち、言葉を持った人間の本質なりて、これでおしまいよ!ホントにおしまいね!マル。

2011/03/24

2011/03/23

かえり道、いつものコンビニ



いらっしゃいませ、お弁当を温めますか。あ、お願いします。かしこまりました、では、お会計は580円になります。じゃぁ、1000円で。ありがとうございます、1000円お預かりします、では、420円のお返しです、少々お待ちください。はい。お待たせいたしました、熱くなっておりますので、ご注意ください、ありがとうございます。あの、あの、いつもここにいて、いつも同じ感じで、ありがとうございます、突然変なことすみません。あぁ、いえいえ、こちらこそ、ここにいて、いつも同じ感じでいるのが、私の仕事ですから、ありがとうございます、また、お待ちしております。

2011/03/21

花束


そうやってね、花を紡いでまとめているけど、
それはもう花でも何でもないんだよ。
そうやって紡いで、一本の紐で結ってしまえば、花じゃなくて束さ。
それはね、それはもう花じゃないよ、束なのさ。
それを見てキレイだんなんて言わないでおくれよ。絶対に。
それはもう、束なんだからさ。

2011/03/20

響きがねぇー。


帰宅途中に突然、雷の打たれたようとはこのことか!と確信するように口に出たのが
「トタン屋根」という言葉で、それはもう途端に出たのです、というダジャレもさておき、
「トタン」ではなく「とたん」。
この平仮名の可愛らしさと響きにうっとりしてしまったのだから、もう大変。
「とたん」という字の出で立ちに、響きに、もう小人たちが作った言葉なんじゃないか!
踊るときの音なんじゃないか!、屋根の上で発表会などしていたのじゃないか!と、
確信すら感じておりましたら、どうやら諸説あれど、
ポルトガル語が語源らしく、「亜鉛」のことを「tutanaga」、それが「トタン」になったとの説らしく、
このポルトガルという語源に溝を埋めるようなフィット感というか安心感というか合点感。
ほいでもって、だから今日トタン屋根に関する何かがあったわけでもなく、
何かこう、突然、うっとりしてしまったという話なのでして、
それ以下でもそれ以上でもないのですが、
ただ、「とたん」の可愛さが、一人でも多くの人に伝われば使命のようなものを果たせた気にもなるのです。や、春ですから。

2011/03/19

月には兎が見てるもんで。

月には兎さんが住んでおりますが、
兎さんから見たら、この地球はどう見えるのでしょうかね、
あー戦争、あー紛争、あー略奪などと思うのでしょうか、
それとも、
あー助けあっている、あー励ましている、あー支えあっているなどと思うのでしょうかね、
願えば、後者の方が良いけども。

2011/03/17

お風呂場で逆上せまして。


お風呂にぼんやりと浸かりまして、水道を眺めておりましたら、
ぽんつと一滴の水滴が落ちましたから、
それを何のなしに見ていたら、ふっとあっと、とんでもないことに気づいた気になったのです。
というのも、この一滴がは、お風呂の湯船に入りますと、
それはもう一滴ではなくて、お風呂一杯なわけで、
なんと例えて良いやらか、あんな小さかった一滴がこんなに大きくなってー、
という正月に一度ぐらいしか会わないのに、こんなに大きくなったも小さくなったもないだろうに
と思った子供心を思い出します。
それでも、お年玉がもらえるとあれば、例え何を思ってもその場にはいましたし、
それはもう義務みたいなもので、
親戚の方々も、義務みたいなもので渡していたと思うし、
あの家が三千円くれたなら、うちも三千円は返さないとねーという具合。
なのだから、私はその水滴を毎日見続けているっていう具合において、
親戚の人よりも水滴との距離は近く、
思わず、こんなに大きくなってーと言うことが言える権利はあるのです。
文末でございますが、ところで「逆上せる」と書いて「のぼせる」と読むこの不思議。
のぼせることは、「ぎゃくじょう」することなのでしょうか。
つまりそれは、国語の辞典におきましては、
「頭に血が上ること」で、怒り心頭で頭に血がのと、夢中になって頭に血が上るのと、
人間の生理現象としては、唯一無二なことでして、
私はすっかりと、この水滴な現象に逆上せておるのです。

電柱。

Telegraph pole

2011/03/15

やまない雨はない、と誰かがいった。

Endless Rain is not, somebody did.

あいつの話。


や、これは一体いつから住んでおられるのでしょうか。
それを許可した覚えもございまんし、無断で住まわれてしまったのならば、
これはもう不法滞在として訴える構えでございますが、
それはいったい全体どこに訴えるべきやら、そもそもそういった訴えは通るやら
通らないやら、日本の法律的にといいましょうか、日本じゃなくても、
例えば、それがジャマイカであったり中国であったり、サウジアラビアでも
構わないことでございますが、通るでしょうか。
だってもこうしても、どうしてもそれは気になることで、ずっと今日、今日一日よ、
ふとした瞬間に思い出しては、なんでこんなものが、どうしてこんなものが・・と
思っていたのだし、その時間なんて、二四時間中、寝る時間を八時間とすると、
一六時間なもんで、その一六時間ずっとよ。ずっと。
まぁ、たまには忘れたこともありますがね、基本的にはずっとことで、
そう考えると、私は私という人間は、今日一日これに左右されて生きてきたっていうことで、
それはそれでどうなのよ?
ねぇ、聞いてんの?あんたのことよ、
口内炎。

2011/03/14

歩いておりますと。



隣の人(A)は上着だけで歩いておりました。

すると、前からズボンと上着を来た(B)が歩いて来ました。

(A)とすれ違うときに、(B)は、それでは不便だろうと、ズボンをくれました。

更に歩くと、両足に靴を履いている(C)と出会いました。

(C)はそれでは不便だろうと、(A)に片足の靴をあげました。

しばらく歩くと今度は裸の(D)とすれ違いました。

(A)はそれでは不便だろうと、自分の着ていた物をあげました。

その先にも裸の人がいました。

(A)は、「大丈夫」だと言葉をあげました。

2011/03/12

海辺にて

海辺。砂浜で、ある男が画やら言葉やら図やらを書いている。
それが一体なんであるのか、それを横で見ていた男にはわからない。
だから、見ていた男は言う。お前はそうやって砂浜に書いているが、そんなものは波がくればすぐに消えてしまうだろう。
書いていた男は、そうだ、そうだとも、と答えた。
見ていた男が憮然とし、だったらどうしてそんなものを書いているんだ、誰も見てもいないし、そもそもよくわからないものじゃないか、と言った。
20秒の間。書いていた男は、もしかしたら、宇宙から宇宙人が見ているかもしれないじゃないかと言って笑った。
次の日も男は砂浜で、画やら言葉やら文章やらを書いていた。
そこに昨日の男が現れ、またオマエは今日もそこにいて、そんなものを書いているのか?と言うので、
書いていた男は顔も上げず、だったらオマエは何のために、そこにいるんだ?と答えた。

2011/03/11

オレ、つーかー。俺様。

今年、はじまって結構経ったけど、
今年の抱負。
今日は、マヂで書こうと思う。

オレ、今年、地球救うから。
本気で。

本気、マヂだから。
で、どうするかっていう話だけど、
まず、宇宙に行く。

で、月に「地球」って書くわけ。
ここはまだ序盤の展開。

そしたらさぁ、宇宙人が勘違いしちゃうわけ。

「あれ?ここ地球ジャン。侵略しちゃう?」ってね。

でも、さぁ、ヤヴァイのが、
本当に地球に住んでいる奴が、望遠鏡で月を見たときに
「地球」って書いてあったら、勘違いすんだろ?
しかも、変なやつらがいるっていう。

そこも考えたから。

オレが、大統領になればいいわけ。
で、演説すればいいじゃん。

「ここが本当の地球で、月のやつは嘘だ」って。

でも、そのときに、オレがやったって言わないわけ。
かっこよくねぇ?
なぁ、ヤベエよな。

とりあえず、NASAに電話してさぁ、
予約すっから。

ついて来たい奴は、ついてこいよ。

だけど、大統領はやらせねぇよ。
オレやるし。
だから、総理大臣でいいじゃん。

でもさぁ、地球を救ってるんだから。
地球大臣とかよくね?
じゃぁ、オレ、地球大臣になるから。
お前ら、総理大臣と大統領でいいじゃん。

オレ、マヂですげぇかも。
やっべ。

もし、宇宙人が、騙されてるのに気づいて
こっちきても、
オレがヘッドだし、マヂでビビると思うんだよね。

オレ、たいまんで負けたことねぇし。

宇宙人が意外にいい奴だったら、おもしれーけどな。

マヂで、しゃヴぇかも。

オレの伝説のはじまりだよな?

2011/03/09

サラリーマン応援詩


私は午前10時から午後7時までの間、改札口の前に立ってみて、ぁーもしかしたらハゲの人はハゲではなくて、超単発のショートヘアーなのではないかと、その階段を登っていく、日本のサラリーマン今日もご苦労様、派遣切り、窓際、リストラの恐怖と戦いながらも、その階段を登っていく姿にご苦労様、その頭が何よりもアナタの勲章であると、私はアナタの気づかない、それでいて大きな後ろ姿、背中ごしに応援します。
家に帰ってからのことを想像すれば、きっと今日1日の疲れを癒すためのビールが待っている、そうしてグビグビグビと喉を鳴らして飲んで、そうだ、おつまみも柿ピーなんて用意して、ニュースを見ながら政治家はダメだ、まったくダメだ、でも、政治家をダメだといって政治に興味をなくしている若者はもっとダメだ、と再びビールを口にして、この苦味がわかってくれば立派な、一人前の大人に違いない、それにしても、娘の帰りが遅い、どこの骨の男ともわからんやつと付き合っているんじゃないだろうなぁ、職についているのか、まさかフリーターだの派遣じゃないだろうなぁ、もしも一緒に家にきたら一体なんと言ってやろうかと思いながら再びビールを口に運び、それにしても、日本のプロ野球はつまらなくなった、昔はスター選手がいたというのに、まったく、とビールを口にして、アナタが見つめている泡のその先には現実のアナタがいて、現実のアナタは満員電車に揺られ、今にも就寝してしまいそうで、白い泡はベットか枕か電車の揺れは、酔いの揺らめきか。
会社のアナタこそが本来のアナタの勇姿であり真実であるに違いありません。役職が問題だとは思いません。それは飾りです。頼られるような上司、または同僚でしょうか、それとも反感をもらってしまうような、ハンバーガーのピクルスのような、料理についてくるパセリのような存在なのでしょうか、あの苦味は子供には厳しいでしょうか、いいえ、決して厳しいことが悪いということでありません、アナタの背広を見れば誰だってわかるはずです、アナタの背負った過去未来現実その皺の数、時には厳しいことを言うことだって必要でしょう、それがアナタの役目でございます。アナタは世の中の役目というものをご存知であるのでしょう。信号機が必要なのは車の事故をなくすため、自動販売機が必要なのはどこでもジュースが飲めるため、コンビニが24時間なのはジャパニーズビジネスマンのため、アナタがそうして会社に行き座っているのと食卓に醤油があると何の変わりがあるというのでしょう。アナタも醤油も一緒なのです。それはアナタの頭が大豆と似ているということとなんら関係はないことです。
そうして1日が終り眠りにつく瞬間が何よりも幸せであり、それを何よりの幸せだと感じてしまうことが不幸だと感じることもでもあり、そういったジレンマの中でアナタが眠りについて、疲れ果てた先は夢の中ですら見つけることが出来ないパラダイス。
次の瞬間には朝を向かえ、かつては聖地であったトイレの中すらも、お父さんが使うと臭いから使わないで、早く出てきてといわれ今じゃ廃墟。
そうして、アナタは背中を丸め駅に降り立ち、その台のようなものに向かって階段を上っていくのですね。
いつか来る終わりを目指して。

ぼんやり歩いておりましたら。

ぼんやりと映画などを見ようと歩いておりましたら、多いこと多いこと。
携帯電話やら何やらを見ながら歩く人の数のことで、
そりゃーメールも気になるでしょうが、ニュースなども気になるでしょうが、
ふぃっと視線を上にあげて見ますと、色々な人が行き来をしておりますし、
猫や犬やらもおりますし、どこぞの店員さんは「いらっしゃいませ!」などと声をあげているし、
看板をしょげた人もおりますし、立ち話をしている高校生やら中年女性やら、
何か有り気な男女やら家路を急ぐサラリーマンやオフィスレディーやら、
寒いというのは、寒いというのは、肌から感じるものでもありますが、
鼻から入る寒気が寒いのだということにも気づきますし、
そういうったことで思いましたことを、ここに写したり、書したりしたいものです。

2011/03/08

スーパーマーケットに行きましたら


スーパーマーケットに来店させてもらう側の立場の人間として、出向き、野菜や惣菜や揚げ物やお菓子や飲み物を見ていると、
この、店の中にない色なんていうものはないかもしれないと思いだして、色、色というものに関してだけは、この店の中にないものがないという
事実になんだか怖くなってきてしまって、入り口入ってすぐ、私はカゴをもったまま身動き取れなくなっていましたから、
スーパーマーケットの店員が駆けつけてきて言うのです、大丈夫ですか?大丈夫なのですか?体調でも悪いですか?気分が悪いのですか?
それは私の体のことを言っておるのですか?と聞くと、店員困った顔になって、えぇ、それは、その、私はそういったつもりでアナタに質問をしていたのですが、
アナタはアナタの身体のことを答えるつもりじゃなかったのですか?と聞いて来ましたので、はい、私はそのつもりでしたし、私は大丈夫です、
ただ、この店にない色がないと思ってしまったので、なんだか怖くなってしまったので、体調などの心配ではありませんと答えました、すると、
そーでしたか、そーでしたか、そうかもしれません、いええ、私も考えたことがありませんでしたが、おっしゃる通りかもしれません、そうかも知れませんね、
ヒヒヒー!と笑って、失礼しますと、その店員は去っていきました。
私はといえば、去ったのを確認しましたから、その後は、試食貧品など食べて、あら美味しい、本当においしいわ、それにしても、人は食べないと死んでしまうなんて、
不便な生き物よね、と、試食品を勧めてきた店員に言ったりしながら、店内を一周しカレーの具やら材料やらを買い集めました。
それから1時間後、私は、パソコンの電源を入れて、モニターを注意深く見ながら、両手でキータッチをしています、ということを書き、次に、
スーパーマーケットに来店させてもらう側の立場の人間として..と書くことを考えておりますし、
私はスーパーマーケットで野菜を選ぶように言葉を選んでいるのに、スーパーマーケットでは、ない色はないというのに、
どうして、私の言葉はないものばかり増えていくのか、それでも、私は主婦が野菜を選ぶようにして、言葉を選んでいる事実にあらためて驚愕しました。諤々。
無意識を意識することすらなく主婦の方々が例えばカレーの具材を吟味するように、
私も言葉を吟味して選び取りたいって思ったのでした。

2011/03/06

冬のプール

思い切り勢いをつけて。


最大限に想像できるぐらいに、
走ってみてね、それで、ジャンプをしました。
それはもう上の方に上の方に。
そうしたら、確認。
空の高さ。
空の広さ。
そら、想像以上に大きいものでした。

2011/03/05

悟り


自販機の前で、
ん!と立ち止まってみては、グレープかアップルか・・
と悩んでみた結果、同時に一緒に押してみて出てきた方にしようなどの小学生のような
発想で、んや、考えているのは自分自身なのだから、脳は小学生なのではないのか・・。
と、こんがらがりながらも、次の瞬間には二つを同時に押してみたところ、
ガランガランと出てきたのは、グレープの方。

アップル私「あーあーアップルが飲みたかった。」
グレープ私「だったら、最初からアップルを押せばいい。その権利は、私にはあったはずだろうに」
アップル私「それは、それはそうなのよ。だけども、そのときにしっかりとした判断が出来なかったのだ」
グレープ私「だとするならば、それはもう仕方ないことで、グレープを飲めば良いじゃないか」
アップル私「ハイそうですか。グレープを飲みますか!と言えるものか」
グレープ私「では、飲まないのか?」
アップル私「いや、飲む」

なんというやりとりは、ほんの1秒のことで、
2秒後には思っておりますことは、
吉野家私「あー豚丼と味噌汁で食べたい」。

花が咲く

いつの時代にも、どこの世界にも、天才や鬼才と呼ばれる者はおります。
例えば、バッハやモーツアルト、ベートベン、ゴッホ、ミケランジェロ、ダヴィンチ..。
私たち、人には想像もつきませんが、鳥の世界や犬の世界、猫の世界、植物の世界にだって、そういった天才は現れるものです。
その植物もそうでした。
その植物は、ある人のアパートで大切に育てられていました。
主人は、家に帰ると水をやり、日中は陽のあたるところへ移動させ、今日あったことを懸命に話かけたのでした。
会社の愚痴や友達や同僚の悪口、社会に対する不満、不安..。
主人が毎日面倒を見ていることもあって、その植物の葉は青々しく育っていきました。
しかし、その植物の葉は光合成をするだけのものではありませんでした。
その植物は葉を通して、人が言うことを理解出来たのです。
植物は毎日、主人の話を聞き続けました。
しかし、その植物は聞くことが出来ても話すことや書くこと、歌うこと、踊ることは出来ません。
その植物は思いました。
もしも手があれば愉快な物語で人を勇気づけることが出来る、
もしも足があれば踊って夢を与えることが出来る、
目があれば世界がどれだけ美しいか確認することが出来る、
鼻があれば香りを楽しむことができる。
そして、口があれば、それをこの人に伝えることが出来る。
だから、その植物はせめて、せめてと思い、最高の美しさと香りを想像し表現し、
気づいてもらうと、伝えようと、
花を咲かせたのでした。

2011/03/04

橋の上

あれからどれぐらいになりましょうか、私は橋の上に立っております。
周りに人は30人ほどおりまして、一人がアナタは立ちすくんでおりますね、と隣の人へ言うと、また隣へアナタは立ちすくんでいますね、というものだから、
それがついに私のところにもきて、それを止めてはいけないと思ったのですが、私は思わず、アナタは立ち尽くしているのですか?などと質問してしまったので、
その隣の人は頭を抱え、理由はわかっております、訳は知っておるのです、アナタだってそうでしょう?そうなのでしょう、理由を知れば半分は解決と言いますが、
9割は解決していおるのですよ、それはわかっていますよ、アナタだってそうに決まっていますと言います。
どうして私は鉄板ではないのでしょうか。や、せめて、木の板ではなかったのでしょうか。
その橋は途中で切れていて、その間は5メートルぐらいでしょうか。そうしてまた、間、空、を設けて橋は続きます。
橋のあっちに何があるのか、その間を行った人は帰ってきません。
死んでしまったと申す人もおりますが、美女に囲まれてすごしているという人もおりますし、強制労働を強いられているという人もいますし、
不治の病にかかったという話も聞きますし、その先なんてないということも聞きます。
なにせ、狭い空間ですがら噂は耐えません。
それでも、あっちに行きたいと行かねばならないと思うことは確かなことで、どうしていいのかわからない私の中で唯一確かなことはそれだけです。
どうして私は鉄板ではないのでしょうか。や、せめて、木の板ではなかったのでしょうか。
あっちに行った人には、ホップステップジャンプして行ったりした人もおりました。
しかし、私も含めた多くの人はその、間、空、を前にして立ち尽くします。
そうして、アガガガガガ!と落ちてしまうのだろう、アガガガガ!と堕ちてしまうのだろうと思い、

悩み悩んで恐怖で動けないでおります。
ジャンプに失敗した人もおりますが、不思議なことで、何日かすると再び私たちと同じ集団におったりもしましたが、
噂では、あっちに行った人もおると聞きます。狭い空間では噂が絶えません。
私たちの手には、それぞれ金づちを持っている人もいますし、木の板を抱えている人もいます。
何も持ってない人もいますが、釘を持っている人もいますし、力こぶを持っている人もいます。
そーいえば、背中に鳥の羽がついた人もおりました。頭にヘリコプターをつけた人もおったような気がします。
噂では、ジェットがついた人もいたそうです。狭い空間では噂が絶えません。
あれからどれぐらいになりましょうか、私は橋の上に立っております。

2011/03/03

卒業



いつも歩く道を離れ、
新たな途(みち)を行き、
その先で尚、歩みを止めることなく、
時に後ろを振り返るも、
その足は前に進むためにある。

透明なものを飛び越えたい


私は例えば透明な板みたいなもんを飛び越えたい。
いやや、そんなものは目には見えておりませんので、ジャンプして飛び越えた、という、何でもない「つもり」でも良くてさ。それで結構。
どうしてか。それは、私は、その目に見えないもので悩んだり、喜んだり、苦しんだり、楽しくなったりしておるからです。
だから、私はその透明なものを飛び超えたいのです。
それを飛び越えるのもきっと、目に見えない透明なもんを使って飛びえるのでしょう。
ですから。私はその目に見えないものを手に入れて、いやや、手に入れるといっても見えないので、そうしたつもりになって、それで結構で、
それでもって、やっぱりその透明な板みたいなもんを飛び越えたいのです。
エイヤっと。

2011/03/02

すりたまトマト


冷蔵庫に入りたいんよ、冷蔵庫に入ってしまって、その中は想像するだけでも冷え冷えで、そうして見る世界はいかに温度が変わるか、そういったことを知りたいんよ。
冷蔵庫の中っていうのは学校なんか、冷蔵庫の中っていうのは、学校なんかな?だって、野菜室っていうのとかチルド室っていうのがあったさ、それはあれか、言うなれば、校長室とか保健室みたいなもんなのか、入れられる食材にとっての教室みたいなもんで、その部屋って言うのは、やっぱりアレかね、リラックスとか出るのかね、楽しいんかね、
それとも、緊張すんのか、あいつずる休みだよと言われるような感じなのか、でも、もしももしもよ、トマトがさ、トマトが間違って、や、こういった間違いは絶対にあってはならんことだけども、それはトマトにとっても我々にとっても、でも、もしもあったとしてさ、そうなったらどうなるだろうね。それは悲惨だろうね。あ、もしも、トマトを冷凍庫にいられたらっていう話。だって、トマトは普通に冷蔵庫に入れられるつもりでスーパーマーケットから引越しをしてきてさ、もう準備万端なわけでしょ、さぁ、私は今から冷蔵庫で冷え冷えさ、冷え冷えでさ、冷蔵庫に入るんよ、そうして見る世界の温度ってやつを知りたいんよ、っていうこと。
それが冷凍庫に入ったら、そういったプランは一切合切なくなってしまって、沖縄行きに飛行機に乗ったつもりが実は北海道行きだったようなもんでしょ、それっていうのは。
そうしたらトマトだって、ビックリというかショックというか、思わず言うわ、そんなバナナ、やや、トマトはバナナじゃないことはわかっていますが、それでも、多分、絶対に言うと思う。
そんなバナナ、もう一回ぐらい言っておく?せっかくだから言っておく?そんなバナナ。
でさ、私はね、私はそんなトマトの無念を晴らしたいわけよ、そらそうでしょ、冷蔵庫に入るつもりが、
最終的には、口の中、胃袋の中かもしれんよ、それはね、だけども、一旦は冷蔵庫の中に入る覚悟を決めたのに、それが冷凍庫でしょ、それは敬意を示すべきだと思う。
だから、私は、トマトをせめて砂糖漬けにして、甘くして、さらに、ハチミツとか入れてさ、肌もツルツルにして、食べてやりたいと思ってる。
また、ドレッシング状態にしてしまって、そこはかとなく香りで楽しみたいと思っておるのです。
それが私に出来る、最大限の敬意よ、リスペクトよ、思いやりよ、でも、一体、私はトマトの何であるのよ。

2011/03/01

いい湯だね。


夜中になるとお湯が出なくなることがおおくなる野暮なお風呂の話は忘れましょう。
そうしましょう。

お風呂場でほわんほわんと沸きあがる湯気に目を細めながら、
あぁーと脳みそまでも水に流す勢いで、湯に浸かっていると、
目に映るわ、シャンプーやらリンスやらトリートメントやら何やら。
彼らの色と容姿と来たら、女体を模したような曲線とナメック星人を模したような緑。
それが2人になり3匹になり4体になり5本なると、シャワーの穴から色が流れでたように、
そこいら一体が赤やら青やら黄やら白やらと広がること広がっていくこと、その広いこと。
その1本の頭をほいと押すと、ジュルっと光沢のある蜜のようなものが流れ出てきました。
お風呂場でほわんほわんと沸きあがる湯気に目を細めながら、
その香りを楽しんでみては、香りは偉大だ、香りがよいと対象人物好感触好感度が断然にして確実にアップと、先ほどからあぁーと水に流れはじめている脳みで思うのです。
私は明日も明後日も、お風呂場でほわんほわんと沸きあがる湯気に目を細めながら、
あぁーと脳みそまでも水に流す勢いで、湯に浸ります。

順が前後となりまして。

写真ばかりを載せていてた、当blog、ライフログも見ている人がいないのか、
いるのか、やっぱりいないのだろう。
そういうことになりまして、写真は世の中に沢山あれ、考えて見れば、
その瞬間、その日が、その人の青写真になっているのです。
そういうことで、写真だけでは飽きたらず、貪欲、決して、ヒンヨクではくドンヨクに、
散文やら日記なども載せようという、腹黒さなのです。

小説や詩やらの定義というものが、あるやらないやら..それは梅干がしょっぱい、梅干がしょっぱい、
梅干ってしょっぱいよな!という、しょっぱいという定義となんら変わらないような気がして、
仮として小説や詩のような、総じて、散文。
いいのかなぁーいいよねぇー。

冷え性

ボクが足の冷え性が進むということと、地球の温暖化が進むということと関係があるのかと考えて見たけれど、
考えれば考えるほどに、関係あるということと関係ないというが比例していって、なーんだ関係ないんじゃん。
お風呂に入るときのことを書こうと思う。
冷えきった足を湯の中につっこもうとすると、足のやつは冷たいことに少しの誇りでも持っているように、温かくなんかなるものかと温かくしようとする軍勢と戦いを始める。
だけども、多勢に無勢なのだからか、やっぱり居心地がよいやらで冷たい足のやつは温かい湯の軍勢にやられて手を返したようにその温かさにホクホクとしてきて、それは戦後にアメリカに憧れた日本をなんら関係はない。
ここで取り残されてしまったボクの話をすると、ボクは冷たいやら温かいやら痛いやら気持ちがよいやらという感覚に、んぅ~はぁ~と漏らすだけで、まったく何の役にもたちません。
お風呂から上がって、30分もすると足がこれは作戦なんです、とでもいうように再び冷え始めます。それを感じて、内弁慶なり、と足を撫でながら、ボクの冷え性と地球の温暖化には関係があるものかと、そんなことに思いをめぐらせて、やっぱりなーんだ関係ないじゃん。