2011/03/26

無想


カップの蕎麦はどうにも食べる気がしません、そういったことと関係のない次元の話で、若者に合わせてアーティスのと人の名前なんて覚えようしたってさ、覚えて頃には次の人が流行っているもんだから、覚えて意味なんて全くないわけで、もう年配扱いよね、しかし、炊飯ジャーに残ったご飯は硬く硬く、それは硬くお茶をかけてもビクともしませんで、食べていると急に口の中に刺さってとどろきますが、そんなものは冬の寒さと比べれば何のことはありませ、とここまで書いて、コメが硬いのと外が寒いのと比べることじゃないことに気づかれ、それについての答えた出たと思うと急に小腹がすくけど、減るけど、手元にあるのは牛乳、ミルクでは何の足しにもなりませんがグビっと飲ます飲み干します、僕の中でカルシウム、Caが骨を作り、骨が僕をカタチ取り、僕は世界の一部をカタチ取り、それは周りの集まった人たちをもカタチ取り、渡り廊下ですれ違って目があってそれで勘違いなんかしちゃってさ、足が浮くいているのか、それとも渡り廊下だから浮いているように感じるのさ、それはもう、つり橋で告白すれば成功率が上がるっていう理屈みたいなもんで、体育館裏の成功率っていうのは、一体どれほどアップするのかそもそも体育館裏に人が来ないっていう理屈が通るならば、そこにはヤンキーが集まるはずで、その賭けときたら、ドキドキ疾走青春滑走妄想暴走可哀想で、そのドキドキでやはり成功率はアップなのだろうか、そんはずはなく、そうなれば、犯人らしい人をつり橋に連れてきて自白させようとすれば自白率が上がるっていうことと、体育館の裏で自白させると自白率が上がるっていうことと、それはやっぱり関係ないのでして、嗚呼、忘れかけていた小腹がやっぱりすいて、何を書こうとしているんだろう、私僕オレME、書いている本人がわからないのだから、これを読んでいる人は何を掴もうというのか何を感じようというのか、それはもう何の謝罪も受け付けません、それはもう何の弁解もありません、ここまで読んでくれてありがとう、でも、本当に何も残らないよ、何もないよ、いつまでも続いてしまいそうなこの言葉と言葉、このままでは言葉に埋もれて呼吸も出来ず、気がつけば身体が文字になって文字として伝えようとする、これすなわち、言葉を持った人間の本質なりて、これでおしまいよ!ホントにおしまいね!マル。

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