2011/05/31

最後の手紙


子供たちへ。
これが最後の手紙になると思う。まったく勝手な話だなと自分で思うよ。
いつの時代からか、人間はロボットを家庭の中に入れはじめたのだけど、
それが良かったのか問題だったのかそういうことじゃなくて、ロボットはプログラムされたことは全て出来るから、
例えば、一流シェフのような料理を作ることも出来るし、プロのピアニストのように楽器を弾くことが出来たから子供たちの世話をさせるようになった。
ロボットといっても、人間と似たような触り心地だし、同じ言葉を話したしね。
1つ問題だったのが、相手の反応、つまりお前たちみたいな子供の反応までは想定しきれなかったということなんだ。
ロボットが普及して、大人たちはいろいろ便利になると喜んだんだし、子供たちは遊び相手が出来て喜んだ。
でも、いつも面倒を見てくれるのがロボットだったから子供たちはロボットに愛情を抱くようになったんだ。
でも、ロボットは機械だし、それについてのプログラムもされていなかった。
つまり、与えることは出来ても、与えられることが理解できなかったんだ。
もちろん、ロボットには学習能力がついていたけど、それが結果、仇になった。
だから、今日、僕は自分の手で自分を壊そうと思う。
子供たちへ。
これが最後の手紙になると思う。まったく勝手だなと自分で思うよ。
でも、それが計算した結果の最良の判断だと思っているよ。


今読みたい本。


いきなり、壁になりたいなんて言うもんだから、
ぇ?っつって、思わず、ぇ?っつって。
何やり聞いてみれば、子供の頃からの夢だというけども、
一体、子供の頃にどうして壁なんかになりたいと思ったのか、
普通の子どもは、サッカー選手やら野球選手やら、ヒーローとか言うのに、
どうして壁っつたの?
と思い出すのに、10分程。
そんな衝撃的な子供の頃の夢なのに忘れてしまうのもどうなのかと、
腕組をすること、合わせて10分。
出てきた答えが、あの渋さが良いよね!っていうんだから、
・・んま!サザエさんだって、んまぐぐ!っていうぐらいの話で、
壁の渋さがわかる子供時代を送るのは、
到底想像するに、井上陽水ぐらいしかいないと思うし、
んで、壁になる努力は何をしたかといえば、
ただ棒立ちにして奢らずってってまぁ。
人がなれる壁なんてリアルなところで、
サッカーのフリーキックの時の壁ぐらいだと、現実の厳しさを突きつければ、
あれは壁じゃない、ディフェンスだという、その態度が、んま!


や!欲しい。

2011/05/30

地球>森>ワタシ>?

あの、木がたくさん生えていてさ、なんだろうすごく見にくいのだけどさ。
どうして、そうやって隠れているのか、まぁ、それが本能だけどね。
やっぱり、怖いかね。そら、怖いよね。
だって、得体の知れない人が勝手に自分に向かってしゃべっているのだから、コンビニの中でも、病院の中でも、
こういう森の中でも怖いことには違いないよ。
でも、でもさ、君に危害を加えることはないって、そういうやつに限って・・って思っているのだったら、それはその通り。
でも、本当に傷つけたりするつもりなないんだよ。
なんだろう、道端で犬とか、大体犬っていうのは飼われているから、首輪をつけているのだけど、
猫とかさ、いるんだけど、やっぱりしゃがみこんで話しかけるわけね。
どうしたの、君は何をしているの、こっちに来なよってね。
けど、やっぱり大体君と同じ反応だよ。
じぃーっとこっちを見るだけで、お前は一体誰なんだ、何なんだ、構うなよっていうオーラを出すんだよ。
何が気に入らないのかね。体臭かね。
自分でもわからないよ。
あ、ありがとう。ちょっと見えてきたよ。
君には、毛がないんだね。肌は肌色というか、同じ色だね。
毛はね。毛っていうのは、身体を守るために生えているのだけど、他の動物を知っているかな。
例えば、猿って毛だらけでしょ。それに比べて人間っていうものは、ほとんど毛がない。
どうしてだと思う?多分だけど、考えてみると、服を着たでしょ。人間は。だから、守る必要がなくなったのだと思うんだよね。火も持ったし。
それに比べて、猿とかは必要だからね。寒いし。
人間がずっと猿を育て続けたら、毛がなくなるんじゃないかな。
だから、君みたいに毛がないっていうのは、すごいことで、人間よりもすごい生き物だと思うよ。
それに2足歩行っていうことは、手が自由に使えるわけで、それも革新だよね。
君たちは一体何モノなのかね。
さっきから一言も話さないし。話すというか鳴き声1つ出さないよね。
意思表示としての、声がないのか、必要としないのか。イルカみたいな超音波だったらわからないけど。
疑問なのだけど、君たちの世界っていうのか、戦争っていうのかな、争いごとっていうのはないのかな。
いやね、どうしてそんなことをって思うと思うのだけど、
戦争って、お金もかかるし、人も死ぬし、勝ったとしても、それを恨む人が出てきてさ、やる意味ってほとんどないわけ。
で、最近は国が相手じゃなくてテロリストが相手だから、実態もわからないのに戦ってる。
だとすると、しない方が得策なのだけど、それでも止める術がないんだよね。
やっぱり賢いと、いや君たちが賢いとしてさ、戦争なんてしてないだろうと思ってね。
動物もするけどさ、殴るとかそういうことで、角を見せて、俺は強いぞっていうアピールで終ったりね。
何の話だったかな。まぁ、そろそろ帰るよ。
いつまでもこうして話をしていたいのだけど。聞いてくれてありがとう。
いつかきっと、残念だけど森はなくなると思うんだよ。
森じゃなくて、植林だよね。大きな庭みたいな感じのものが世界中に広がるんだと思う。
それって自然じゃない、ゴルフ場みたいな感じだよ。
散々色々な味をつけておいて、このフカヒレおいしいですねっていうのと同じだよね。
味なんてないんだから。
そうなったらさ、自然が回るはずがないと思うのだけど、そうしたら君らみたいな生物が必要だと思うよ。
そうなれば、そう、猿の惑星だよね。
知ってるかな。ロケットが不時着したした惑星には猿がいて、権力を持っているんだよ。すごい惑星だと思ったら、実はその惑星は地球だったっていう話。
実は、人間はさ。毛が薄くなっただけ猿なのかもしれないよね。サル山のボスみたいな感じだよ。
それは、動物園のね。

2011/05/28

断捨離でお金が貯まる?


相変わらず、断捨離が一体なんであるのか、ワタシにはその実態がわからないのだけど、
ふと想い出せば、
断捨離という言葉が流行る前の前兆として、
「掃除をすればお金が貯まる」という本が発売され雑誌では特集やらが組まれていたことを思い出し、勿論、そういったものを読んだことがないのだけど、
考えて見れば、ある程度の察しはつくのでして、
例えば、薬や乾電池なんかを想像して頂けるとありがたく、
絶対に使うのだけど、じゃぁ毎日使うか?というと、常に使うものではなく、
あ!今欲しい、というときに意外とないものが、そういったもので、
欲しい!あ、でもない!どこいった?
と探せど見つからず、その場は諦めますが、
やれ買物に出かけたときに思い出すのです。
あ、薬、買っておこう、あ、電、池買っておこう、と。
そうして、家に帰って、すぐに使う物でもないので、放置され、
家の中の妖精がそれらをどこかに運んでいくのです。
そうして、欲しい時に、再びない!どこいった!
の繰り返し。
これをもしも、もしもよ、しっかりと場所を決めたりしていれば、
何度も買わなくて済むわけで、無駄な消費が減る、という話ではないでしょうか?
そんなことで、自分の家の冷蔵庫を開いてみるのも良いんじゃないかと思う次第で、
賞味期限がきれた野菜やらいつ買ったわからないケチャップやら、謎のソースやらが
入っているのならば、掃除などすれば、
冷蔵庫の冷え冷え具合は効率的になるので、夏に向けて省エネになるんじゃないかという
午前1時の話です。

2011/05/26

争い、つって。


いつかわかるときがくるさ。
これがいつも、いつでも頭の中にこびりついて離れなくて、それはもう焦がしてしまったカレーのようです。
私の職業や容姿はこの際、大そうな問題ではありませんが、私には一つの能力というか、これはむしろ使命と考えてよいと思いますが、そういったものが備わっています。
学んだわけでもなく、知ったわけでもなく、気がついたら備わっていた、
例えば、子供が気がつくと立つことを覚え、話すことを覚えるのと似ております。
ああ、話がそれました。時間もありません。話をそらすわけにはいきません。
しかし、こういうときこそ違う話をしたいものです。
私の使命の話です。
いろいろ異論はあるのでしょうが、私は正義です。
正義というものは悪を討つためにあります。正義こそが善なのです!
と、純真無垢な子供のように、地に落ちる前の雪のように、戦地に咲く花のように、思っておりましたし、今でもそれは変わりないことです。
それは私のプライドでありましたし、理由でもりました。口実?口実かもしれませんが、それでも、です。
そうして私は、正義の制裁を与え続けてきました。
悪し者には正義を。月に変わってお仕置きを。悪の枢軸を。
あれから何人、何名に正義をかざしてきたことか。
少しでも満たされない何かを満たそうと、それだけを追いかけて追いかけて探して探してまた追いかけて。
その信念、根底にあるものは夢。
そうして私は今、この瞬間を迎えたのでした。
いつかわかるときがくるさ。
目の前の者は私を見下ろしてそう言っています。何度も何度も何度も。
いつかわかるときがくるさ。
いつかわかるときがくるさ。

もうろうとした意識の中で思い出します。
そうか私もそんなことを言っていた時期があった。
あのときも誰かを見下ろしながらそう言ったのだった。
いつかわかるときがくるさ。

正義を正義だと思い積み重ねてきたことは、いつか悪になり、悪はやがて正義に淘汰されるのだったな。
そんな自分勝手なこと。利己的なこと。エゴなこと。いらんこと。

目の前の君よ。そう靴しか見えてないけど、私を見下ろしている君よ。
君もいつかわかるときがくるよ。
わかるときがくる。

2011/05/23

頭ん中(加筆・修正)



アナタの頭の中がどうなっているのか実に興味があります、と言われることがありました。

それについて書くことをしようと、ワタシは考えます。
ワタシの頭と思われるもので。

思考中。

私の頭を説明するには、まず公園の話からしなければなりません。
その公園は近所にあり、私は口の中に似ているので、口の中公園つまり「口園」と読んでおりますが、他の人は呼んでいません。
正確には、他の人と対応なコミュニケーションがとれずにおりますので、わかりかねます。

口園の真ん中にはベロンと舌のような滑り台がのけぞっており、その両隣には奥歯のようなベンチがあって、
口園の奥の方にはブランコがブラブラして、それはまるで前歯のようなのです。
それでもって、私は入り口のところに立っているのだから、下あごの前歯です。
ある日、奥歯んところのベンチに座っているOLのような老婆のような、主婦のような、どこにでもいそうな女性からこっちに来なさい、こっちに来なさい、こっちに来い、と言うのですから、そっちにいってみるとその女性が奥歯をパンパンと叩きます。私は横に座りながら、この人は奥歯に座って何をしているのだろうとぼんやり思っていると、女性が舌のようなすべり台を指差してあの下がどうなっているのかと聞くので、知らないと答えると、私も知らないと言って笑いました。カカカ!
何だか気味が悪くなり、ワタシは奥歯のようなベンチから立ち上がろうと思いましたが、
女性がワタシの腕を掴んでおりましたし、
ワタシは声が出ないのでした。
ッァ!が精一杯なのです。
笑い終わるとアナタの頭の中がどうなっているのか実に興味があります、
と言われましたので、
嗚呼・・そうですね。科学でも解けてないない部分もありますしね、などと適当に答えていると、
彼女は、ワタシがワタシと認識しながらそれを証明するのはワタシしかおらず、ワタシ自身がそれをワタシに対して客観的に証明するのは、それを確認すんには、目ん玉を奥の方に押し込んで頭蓋骨の中から脳みそを見てみるか、目玉に延長ケーブルをくっつけて顔の外へ放り出して自分を見るとかしなければならないけども、それでも完全ではないわね、と言って笑いました。
カカカ!
私はなんだか気分が高揚してきました。
アナタはいつもそこにいるのね、そうしていつもそこにいるのね、と言うものですから、
えぇ、まぁ、そうですね、と曖昧に答えて、それにしても、今日は暖かい日でありますね、と答えました。
すると、その女性はカカカ!と笑って首が取れるんじゃないかと思うぐらいにうなずき始めたので、私は怖くなって首を支えようとしました。
すると、女性は、アナタは私を殺そうとしたのでしょう、そうでしょう、私には私がわかります、私をバカにしているのでしょう、私の場所を奪おうとしているのでしょう、ワタシはワタシはワタシを殺そうとして、ワタシは!アナタはワタシを歯だと!と騒ぎたてるので、私は怖くなってその場から逃げようとしましたが自分がどうしたらいいのかわからなくなって、奥歯に挟まれたままになってしまいました。
その横で、彼女の顔は見る見るうちに真っ赤になって、獅子舞のようにな顔になりました。あまりにそれが獅子舞のようでしたので、今度は私がそれを見てカカカ!と笑ってしまいました。
するとどうでしょう。
獅子舞のような顔をした女性が口をパクパクさせはじめました。

気がつくと、私の頭は獅子舞のような顔をしたその女性の口の中に存在していて、その意識はワタシのままでありますが、それが女性の意識、つまり脳としての認識であるのか、という疑問はぬぐえておりません。
そうして、ワタシの認識しているものがワタシの感覚であるという前提であるならば、
ワタシは彼女の目から外の世界を確認することができるようになりました。
その世界は、ワタシが見ていた世界と変わらず口園の中には滑り台やブランコがあり、たまに近所の子供達が遊びにきたり、道路には車が走り自転車が走り、人は歩いています。

後日談。

その舌のような滑り台の下のところに穴のようなものがポッカリとあきまして、そこを眺めていたら、眺めてるといっても彼女の視線でもあるのですが、ワタシらしい人が出てきて、公園の入り口から出ていきました。
今、こうしているのは、果たして私であるか僕であるか女性であるのかよくわかりません。
それでも、ワタシと認識しているワタシとワタシの脳と頭ん中は元気です。
元気でやってます。

「頭ん中」を加筆・修正しました。



電話


13時4分20秒をお伝えします、と電話の向こうでアナタが言っておりますので、私もそうですか、そっちは13時4分20秒のときとなりますか。
それにしても、アナタはどうしていつもいつもそうやって時間ばかりを告げているのでしょう。
それは大変に疲れることだしおもしろくないことだしおかしいことだしアホなことだし馬鹿なことだしそれに一体何の意味があるのでしょうか。
そうか、わかりました、私はわかりました、そうでしょう、そうなのでしょう、きっとそれでなければ話がつじつまが合いません、それが世の中の摂理というもの
ですからね、照れることはありません、誇ることです、誇るというのは正しいことと似ていて悪いことをしているのに誇る人はいませんから正しいことです、
ただ、残念なことに正しいことというのは多分にして、とても曖昧なことで正しいぞと大きな声を上げた人が正しいこととなるのです、
わかりやすくいいましょう、そのほうがいいでしょう、そうですね、戦争なんてどうでしょう、誰も人を殺したいわけじゃないのですが、
立ち位置によって変わってきてしまうものですからAは資源がほしい、Bは国を広げて作物を多く作りたいというお互いの利害によって生じるもので、正しいとか間違っているという
ことではありませんし、だからといって戦争が正しいということをいいたいわけではありません、ただ、線一本で敵と見方にわかれてしまうというのは、
馬鹿な話でありますよな、あぁーそちらは、13時7分49秒となりますか、ということはこちらも、それほど。
アナタはそうやって私に時間を教えてくれるためにそうやって電話の向こう側に座っておるのでしょうか。
立っているということはないでしょうから、きっと座っているはずですよね、それが悪いということではなく、そう思っただけです。
いつまでもアナタとこうやって話をしていたのですが、何せタイムイズマネーと申しまして、とても楽しい時間は早く過ぎて言ってしまうものですから、
今日はこのあたりで帰らせていただきます、アナタはまだそうやって施しを続けるのでしょうし、それはアレでしょう。正しいことでしょう。
いつかまた話すこと来るのでしょうか、アナタとの会話は大変におもしろく有意義なものでありますが、ただ、私の住むところでは甘いものにはトゲがあると申しており、
だから、砂糖菓子ばっかりを食べていけないと子供のころから言われていましたから、アナタには申し訳ないことでありますが、アナタと会話をしないようになればよいなと思っていて、そう、ワガママでありますが、次はアナタが他の人と話をするように私も他の人と話をするのでしょうし、私は私の時計の針を進めなければないのです。
時は無限にあります。
ただ、私の時は限りがあるのです。

2011/05/22

レンタル屋


こうして毎日何十本、何百本とDVDのディスクをディスクが入っておりました、戻すべく空のケースに入れるという行為、そうして、それを貸し出すために抜くという行為をしておりますと、
なんだかもしかしたら人は、このための作業をするために生を受けたのではないかと思い、
同じ従業員の人にそういったことを述べたところ、何を馬鹿なことを言っている、これはDVDの中身で違うケースに戻すと次に借りる人が中身が違うと言って
大騒ぎになってしまって、そうれば、その中身を探して私らは店の中に何万本とあるDVDのケースの中から正しい中身を探さなくてはならなくなるわけで、
その行為は大変なことであるんだぞ、と申しました。
私はそれはそれはわかっておりますが、もしやしたら、その中身とケースが違っていると思っているのは私たちだけであって、そうだと思っている私たちが違って
おるのかもしれません、と申し上げたいのです。
例えば、AとAダッシュがセットだと言うことでしょう。しかしですね、AとCだという可能性だって。と申したところで、私は思いました。
私はもしかしたら、こうやって記憶を誰かに貸し出しているDVDの中身であって、今私はレンタルをしている人のDVDプレイヤーの中で大変な勢いで回っており、その会話を演じているのだと。
そうか、そういうことだったか。そうして一週間やら3日やらの時期がくると私は空の、やや、殻のケースに戻りその長方形の箱の中で次の出番を待ち、
客たちは私の殻を前にして、今日は休みだから一緒にDVDを見ようようぅ、そうしようようぅ、そうだ私、これすんごく見たかったのぉ、超なけるって言うしぃー、何を見ようかなぁ、
あークリスティーナリッチは素敵だからこれにしようか、でも、それにしてもこの中身のない話は一体なんだろうか、クリスティーナリッチ以外見るものがないし、そうかAVを借りる金がもったいないのであれば、パッケージを脳の記憶としてしかも浅いところにおいておいて家に帰ったと思い出せるようにしておけばよいじゃないか、だとすると、どのパッケージを記憶しようか、そういえばこの映画の続編をやるのだったし前作を見ておこうか、どんな話であったか覚えてないような、今日はアクションである、アクションでイヤなことをスカッとスパっと忘れてしまいたいなあ、ホラーも見てないが、金を払って怖い思いというのも、でも癖になるだよなぁ、手を出さないジャンルに手を出すのも手。
借りる人と返す人がいて、それがうまい具合に出ては入って、0となったり1となったりしながら振り子のように進んでいきます。
あぁ、詰まる脳に詰まっていくのがよくわかります。詰まってそこからこぼれていく様もよくわかります。
流れ出たものを私は拾い上げようなどとは思いません。流したまま、流していくまま。落としていくまま。
JFKが暗殺されたシーンのフィルムが何度も何度となく頭に流れていきます。流したまま、流していくまま。落としていくまま。
それは小麦粉を振るいにかける作業となんら変わることはないのです。
そうやって振るい振るって私は今DVDケースの中に生きているようなものではないでしょうか。
きっとそうなのです。
頭の中に、DVDケースやら本棚がいっぱいありまして、それは小麦粉を振るい落とす振るいの上に乗っておって、
すり合わせるたび前後運動をするたび摩擦運動をするたびに出し入れをするたびに落ちていって、
記憶とともに全てがやがて果てます。
それでおしまい。

2011/05/21

私はキュウリが嫌いだ。


午後の昼下がり、私は縁側に座っている。
空を見ると、電線にスズメが止まっていて、その向こうの空は水色で、
スカイブルーという絵の具の具合にピッタリで、
そんな私にスズメが、こんなに天気が良いのだし、どこか出かけてみてはどうですか?
と、ピーチクパーチク話しかけているような気になったけども、
それは私の思い過ごしだろう。

私は、キュウリが嫌いだ。
あの青くさい味も匂いも、ゴツゴツとした形も濃い緑色も、
とにかく嫌いで、サンドイッチに挟まっていれば器用に取るし、
スーパーなどで見かけても見ないふりをする。
キュウリも私のことを恐らく何とも思っていないだろう。

そんなことを考えながら、
ふと足元を見ると、アリが何か運んでいる。
恐らくは今日のご馳走だろうけども、それを見ていた私はそのアリを潰したくなった。
それは、綿矢りさの「蹴りたい背中」のような感情かもしれないし、
トルーマン・カポーティの「冷血」のような感情かもしれなし、
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」に出てきた、蜘蛛を救ったカン陀多かもしれないけど、
そのどれでもないかもしれない。

私はアリを潰すこともなく、キュウリを好きになる努力をするわけでもなく、
縁側に座り続けている。
スズメは気がつくと、どこかへ行ってしまったし、
私の目の前にサソリが現れることもないだろう。

私はスーパーマーケットに行こうと思う。
勿論、今日も私はキュウリの無視をする。

2011/05/20

テレビを断捨離してみた。




今、こうやってテレビのない部屋でぼんやりとこれを書いたりしているのですが、
あれですね。
足が寒い。足元が何やら心もとないのです。
元来冷え性であって、だけども、靴下を家でも履いていればそれが蒸れるし、そこに水虫てきな菌が発生などしてしまえば、蒸れで群れるしで、そういうのも嫌だから、裸足でかろうじてこれを書こうとしているのだけど、やっぱり何やら心もとないのです。

断捨離ブームで、あれ(断捨離の世の中、ブームのブーム)やこれや(断捨離と餓鬼)と、書いてみて、自分自身も乗っかって見るのがいいんじゃないかという軽率な思いつきで、部屋のテレビを売ってみたのでした。
以前から、少しずつDVDプレイヤーからDVDソフトも売っていたのだけど、テレビだけは、ニュースとか見るし、バラエティだってみたいし・・なんて色々考えたりしていて、歯止めがかかっていたのだけど、
お前さん、テレビを見ている時間は何をしているのだ?という内なる疑問に対して、
自問自答をしたのでした。
そもそも、もそもそ、普段か仕事をしていて家にはいない時間のほうが多く、休みともなれば映画にでも行こうか!などと繰り出すことが多く、それが叶わなければ、パソコンとにらめっこをしているのだから、テレビの前に座ってテレビと凝視する時間はニュースを見るぐらいの間で「見ている」というよりも「つけている」という感覚で、お前さんは見てなんかないじゃないか!という内なる私がそそのかしました。

そうして、過ごしてみると、気づくことも数々。
家にはテレビがあるので、全くもってテレビより絶縁というわけでもございませんが、
改めて見ると、テレビにCMの多さに唖然をさせらるのです。
30分ほどのニュースを見るのに、何回CMを見なくてはならないことか!
ニュースが見たいのであって、CMなんてみたくない!という手持ち無沙汰になったのですし、
一つ一つのニュースの長さにも驚かされるのです。
例えば、被災地に行って被災者に今、何が欲しいか?っていう疑問を投げかけて、「温かいお風呂に入りたいです」っていう答えをもらうまでのこの流れが長いこと。
まず、スタジオのアナウンサーが被災地の声を聞いてみましょう、という誰に向けているのかわらない説明をする。
私は心が傷んでいますという顔をしているレポーターがマイクを構えて、避難所の近くに立っている。
そうして、レポーターはカメラに背中を向け、顔は90度程カメラのほうを向けながら「ここでは被災者の方々が震災以来ずっと集団生活を続けていて・・約100人の人が避難所生活を余儀無くされています」という説明をしながら、避難所の中に入る。
避難所に入ると被災者の方に「あ、どうも、よろしくお願いします。避難所の生活はどうですか?」などと、想像性のかけらもない質問をする。
被災者からは「疲れました・・早く、家に帰りたい。せめて、仮設住宅のようなところでいいから住みたい」という答えが返ってくる。
レポーターは「そうですか・・では、今、一番欲しいものはなんですか?」と聞く。
被災者は「そうですね・・お風呂に入りたいです。温かいお風呂にゆっくりと浸かりたいです」と答え、
レポーターは「ありがとうございました。」と被災者に向かって言う。
そして、振り返り、カメラに向かい「一刻も早い、復興が望まれす」と締めくくる。
そうして、スタジオのアナウンサーは「はい。ありがとうございました。」と小さく呟き、次のニュースを読み始める。

これがとても長く感じられて2度目の驚きで、
新聞とかネットのニュースならば、
「被災者からは、早く温かいお風呂に入りたい、という声が聞かれる」とかで終わるのじゃないかしら。
勿論、その人の顔や表情や声から読み取れることっていうのはたくさんあって、それは絶対じゃないのだけどもね。
だから、インターネットニュースを見ることも増えたわけで、
NHKオンライン(http://www3.nhk.or.jp/news/)
WBS(http://www.tv-tokyo.co.jp/wbs/)
ANNニュースチャンネル(http://www.youtube.com/user/ANNnewsCH)
TBSニュースチャンネル(http://www.youtube.com/user/tbsnewsi)

とかで見れるのだし、それぞれのニュースは1分程でまとまっているし、便利な時代ね。

そうして、音がないと寂しいという考え方もあるのだけど、そうなったら、ラジオでも持ち込もうかとそんなことも考えております。只今。

バラエティを見て大いに笑うのも必要だから、やっぱりテレビも必要だと思うのだけど、
テレビのバラエティじゃなくとも、笑えることはたくさんあるわね。
ニコ動やらyoutubeやらの動画だって、最近じゃ、テレビで紹介番組が出来るほどで、だとすれば、最初からニコ動やyoutubeで楽しめないはずがないわね。

それに、本だってあるじゃない。
人類の歴史よ知能よ集大成よ。

なによりも、これは書いておきたいのだけど、
テレビをぼんやり見る時間がなくなると、時間に余裕らしいものが出来てよいね。
結局、その時間はネットに費やされているのだけど。。