こうして毎日何十本、何百本とDVDのディスクをディスクが入っておりました、戻すべく空のケースに入れるという行為、そうして、それを貸し出すために抜くという行為をしておりますと、
なんだかもしかしたら人は、このための作業をするために生を受けたのではないかと思い、
同じ従業員の人にそういったことを述べたところ、何を馬鹿なことを言っている、これはDVDの中身で違うケースに戻すと次に借りる人が中身が違うと言って
大騒ぎになってしまって、そうれば、その中身を探して私らは店の中に何万本とあるDVDのケースの中から正しい中身を探さなくてはならなくなるわけで、
その行為は大変なことであるんだぞ、と申しました。
私はそれはそれはわかっておりますが、もしやしたら、その中身とケースが違っていると思っているのは私たちだけであって、そうだと思っている私たちが違って
おるのかもしれません、と申し上げたいのです。
例えば、AとAダッシュがセットだと言うことでしょう。しかしですね、AとCだという可能性だって。と申したところで、私は思いました。
私はもしかしたら、こうやって記憶を誰かに貸し出しているDVDの中身であって、今私はレンタルをしている人のDVDプレイヤーの中で大変な勢いで回っており、その会話を演じているのだと。
そうか、そういうことだったか。そうして一週間やら3日やらの時期がくると私は空の、やや、殻のケースに戻りその長方形の箱の中で次の出番を待ち、
客たちは私の殻を前にして、今日は休みだから一緒にDVDを見ようようぅ、そうしようようぅ、そうだ私、これすんごく見たかったのぉ、超なけるって言うしぃー、何を見ようかなぁ、
あークリスティーナリッチは素敵だからこれにしようか、でも、それにしてもこの中身のない話は一体なんだろうか、クリスティーナリッチ以外見るものがないし、そうかAVを借りる金がもったいないのであれば、パッケージを脳の記憶としてしかも浅いところにおいておいて家に帰ったと思い出せるようにしておけばよいじゃないか、だとすると、どのパッケージを記憶しようか、そういえばこの映画の続編をやるのだったし前作を見ておこうか、どんな話であったか覚えてないような、今日はアクションである、アクションでイヤなことをスカッとスパっと忘れてしまいたいなあ、ホラーも見てないが、金を払って怖い思いというのも、でも癖になるだよなぁ、手を出さないジャンルに手を出すのも手。
借りる人と返す人がいて、それがうまい具合に出ては入って、0となったり1となったりしながら振り子のように進んでいきます。
あぁ、詰まる脳に詰まっていくのがよくわかります。詰まってそこからこぼれていく様もよくわかります。
流れ出たものを私は拾い上げようなどとは思いません。流したまま、流していくまま。落としていくまま。
JFKが暗殺されたシーンのフィルムが何度も何度となく頭に流れていきます。流したまま、流していくまま。落としていくまま。
それは小麦粉を振るいにかける作業となんら変わることはないのです。
そうやって振るい振るって私は今DVDケースの中に生きているようなものではないでしょうか。
きっとそうなのです。
頭の中に、DVDケースやら本棚がいっぱいありまして、それは小麦粉を振るい落とす振るいの上に乗っておって、
すり合わせるたび前後運動をするたび摩擦運動をするたびに出し入れをするたびに落ちていって、
記憶とともに全てがやがて果てます。
それでおしまい。
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