2011/05/10

断捨離と餓鬼と。


先日、断捨離のことなんて書いて
嗚呼、そういえば書こうと思って忘れていた!なんてことを今になって思い出したのだから書くのですが、その前に、断捨離って何が良いのよ?
っていうことを、断捨離関係の本を1つも読んだことがない私が思いを巡らせて書くのも
どうかと思いながら、それでも筆をすすめてしまうあたり、ご理解いただきたい。
さっそくなのだけど、
例えば、テレビって何気なく見ている人が割と大半と勝手に思っている部分もあるのですが、
民放とNHKを合わせると、8局ぐらい?あります。
それに、スカパーやらWOWOWやらを合わせると、何百っていうそれはもう銀河の星の数みたいなもので、
でもしかし、今、みれるテレビっていうのはその中に1つで、何を見ようかテレビ欄を目を皿にしてみてみたり、何が良いかとテレビのチャンネルをカチカチと変えるのだけど、
でも、例えば、最初からNHKとNHK教育なら、どっちかっていう、シンプル。
断捨離ってそういうことなのだと思ったよ。
靴だってそう。服に合わせて、あれやこれやっていうのも、わかるのだけど、
靴の数を2つにしちゃって、そこからさかのぼり、その靴に合う服しか買わなければ、
服の数だって、必要最低限のもになるシンプル。
吉野家だってそう、牛丼か豚丼の男の選択しかないのだ!(正確には、トッピングとか種類もあるけども・・)
そのシンプル具合が断捨離なのだと思うのだけど、もっと・・なんて思ってしまうのも、性。
でもしかし、餓鬼よ。
餓鬼というと、服がボロボロで身体はガリガリを想像して、
あれは、食べるものがない、着るものがない、貧乏なことなものを餓鬼というのだ、
と思っている方もおられるでしょうが、それはどうも違うようで、
餓鬼には「無財餓鬼」と「有財餓鬼」との区別があって、
前者は常に物を欲しがる類。
後者はあり余るほど豊かな金品に恵まれながら、
けちんぼで一層欲心をつのらせ、そのためにかえって苦しむ類。
なのらしい。
ついつい快適な生活に慣れすぎてしまって、もちろん、それは決して悪いことではないけども、
もっともっと!となるなる前に、これはこれで満足、良いかもしれないな、
などと、餓鬼のようになってなければ良いのだけどと思うので御座います。
それでも、誰かが消費しなければ経済は活性化せず・・何やら面倒。
だからってことでもないのだけど、毎日が少しばかり心身ともに豊かになるためにも、好きなもの、良いものには、満足がいくようにお金をかけるのが、良いよねぇ。

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