2011/05/07
未来を描く子供たち
浜岡原発への停止命令には、書いている今、
未だ答えが出ていないのだけど、
原発とか全くわからなっていない私ですら、毎日のニュースで気になっているわけで、
どうやら世界的にみても原発というのは30年程で廃炉にするらしく、
長くても40年ほどらしい。
そうして、時間が経って、きっとその当時は、原発こそが最大限に効率が良い
発電方法だと日本各地、世界のあちらこちらへと作っていたのだろうけど、
今となっては、原発を止めろという空気で、
時代は新エネルギー!ソーラー発電、風力発電!エネルギー効率が上がったからなのだ!
と、世界というのは、変わっていくのだよね、ということを実感するわけで、
人が想像するものは全て創造出来るという人もおり、
例えば、遠くの人と話したいと昔の人は願ったのだから、電話が生まれ、常に話したいと思ったのだから、携帯電話が生まれ、
空を鳥のように飛びたいと思ったのだから、飛行機が作られ・・
未来を考えることは何やら楽しい。
わたくしの話でいえば、
子供の頃にあんなに好きだった、エビやカニは、今じゃ無理。
喉が痒くなって、息苦しくなって、先日は、全身に蕁麻疹がでる始末。
子供の頃にあんなに好きだった、ゲームも、今は一台のゲーム機もなく、
やりたいゲームは脳トレやえいご漬けという始末。
つい5年ぐらい前まで書い集めていたDVDも、えぃ!っと売ってしまえば、
今は、劇場で見る映画こそが至極!と思う始末で、
レンタルすらもしなくなったのです。
子供の頃は、いつも自転車をこいでいたけど、今は当たり前のように車を運転するし、
子供の頃は、ワサビなんて、ツーンとするだけ!って思っていたけど、
今はそれがないと何やら寂しいし、
新聞なんてテレビ欄すら見なかったのに、
今じゃ1面から読んだりして。
「未来」なんて書くと、それはそれは大きな漠然としたものだけど、
「明日」の積み重ねが「未来」になるのだし、
明日の小さな変化が、未来の大きな変化になるのだし、
そうやって私たちはやがていつか、死んでいくのです。
未来を想像するのは何やら楽しい。
未来を「想像」するのは、誰にでも出来るし、その想像した未来が
やがて、その時になって「創造」されるのだろうと思うと、やっぱり楽しい。
10年後の自分をイメージして、それに向かって明日から行動せよ!努力せよ!
と説く人もいるのだけど、
そんな立派なことじゃなくても、明日、自分が楽しいことをすれば、
それがいつか、大きな楽しいことになって、
生きる力みたいなものになるんだと信じている。
わたしは。
だから、やっぱり、未来を想像するのは何やら楽しいのだ。
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