朝6時30の食卓。
テレビでは、ワイドショーともニュース番組とも区切りがつかない、テレビ番組が流れ、日本の金メダル獲得のシーンを何十回と流し、
家族や周りのスタッフたちが、どれだけその選手のためにバックアップをしたか、ということをくどいほどに語り、感動を増大させようとし、泣かせようとし、それがうさんくさくもなってきている。
朝の時間帯に流れるそれは、眠いことも重なり、苛立ちを増大させるばかりで、淡々とニュースが見たいと思う。
そこにいる男女はお互い、朝は得意というわけではなく、ゴハンも前の晩につくり、朝はそれを温めるだけというリズムを3ヶ月前から繰り返している。
外では鳥がピーチクパーチクと、話しているようにも怒鳴りあっているように、歌っているようにも聞こえるが、結局、わかるはずがない。
おいしいゴハンっていうのは、ゴハンが立っているんだよ、知ってた?漫画か何かで書いてあったと思うのだけど。
確認だけど、ゴハンって、ご飯のことで、お米のことだよね、そんなの知らないし、知っている必要もないといえばないし、だって、ゴハンってさぁ、365日毎日食べたって飽きないし、おいしいと思うし、
でもあれって正確には、ゴハンがおいしいというよりも、ゴハンがあまりに無個性で、他のおかずを引き立たせるからおいしんと思うんだよね。
それはそうだね、同感、だって、ゴハンにはさ、納豆だって豆腐だって味噌汁だって味付け海苔だって目玉焼きだって焼きそばだって・・上げたらきりがないぐらい合うものがあるのであって
それってすごいことで、例えるなら、真っ白のキャンパスっていう感じ。
んまぁ..そういうことっていえばそういうことになるかもしれないけど、確かに、色は白と白で同じだけど、ゴハンと白いキャンパスを一緒にするっていうのは、
どうなんだろう、意味があるのかねそれ、意味っていうか、それって同じ線の上で並んでいいことなのかね。
他に想像がつかないのだからしょうがないじゃないか、おいらの貧困も想像できないような貧困な想像力では、だってよ、だって、納豆は茶色だし、海苔は黒だし、味噌汁のわかめは緑だし、卵は黄色だし、って、やっぱりゴハンはね、キャンパスなんだよ、そのキャンパスの上に色、もとい、おかずを広げていくんだよ、ゴハンは確かに、繰り返しになるけど、ゴハンは確かに白くておいしいけどさ、
でも、やっぱり飽きちゃうっていうか、他のも欲しくなるっていうのは理解できるでしょ、納得してくれるでしょ、そういうことだよ、そう考えていくと、白いゴハンっていうのはアートだよ、芸術、
だからこそ、料理をする人っていうのは、とても繊細な人のはずなんだよ、もちろん、おいしいご飯を作る人っていう前提があるのだけどね。
そんじゃぁ、このゴハンを炊いて、玉子焼きを焼いて、味噌汁を作った私は、とても繊細で、偉くて、天才で、美人って言うことになるね。
そそ、まさに才色兼備で、ゴハンのようにすばらしい人だ。
それって誉めているのかバカにしているのか、わからないけど、ゴハンのようにおいしい、もとい、うまい話じゃないわね。
なんて考えいるうちに、私の1日は始まるのだ。
テレビでは、ワイドショーともニュース番組とも区切りがつかない、テレビ番組が流れ、日本の金メダル獲得のシーンを何十回と流し、
家族や周りのスタッフたちが、どれだけその選手のためにバックアップをしたか、ということをくどいほどに語り、感動を増大させようとし、泣かせようとし、それがうさんくさくもなってきている。
朝の時間帯に流れるそれは、眠いことも重なり、苛立ちを増大させるばかりで、淡々とニュースが見たいと思う。
そこにいる男女はお互い、朝は得意というわけではなく、ゴハンも前の晩につくり、朝はそれを温めるだけというリズムを3ヶ月前から繰り返している。
外では鳥がピーチクパーチクと、話しているようにも怒鳴りあっているように、歌っているようにも聞こえるが、結局、わかるはずがない。
おいしいゴハンっていうのは、ゴハンが立っているんだよ、知ってた?漫画か何かで書いてあったと思うのだけど。
確認だけど、ゴハンって、ご飯のことで、お米のことだよね、そんなの知らないし、知っている必要もないといえばないし、だって、ゴハンってさぁ、365日毎日食べたって飽きないし、おいしいと思うし、
でもあれって正確には、ゴハンがおいしいというよりも、ゴハンがあまりに無個性で、他のおかずを引き立たせるからおいしんと思うんだよね。
それはそうだね、同感、だって、ゴハンにはさ、納豆だって豆腐だって味噌汁だって味付け海苔だって目玉焼きだって焼きそばだって・・上げたらきりがないぐらい合うものがあるのであって
それってすごいことで、例えるなら、真っ白のキャンパスっていう感じ。
んまぁ..そういうことっていえばそういうことになるかもしれないけど、確かに、色は白と白で同じだけど、ゴハンと白いキャンパスを一緒にするっていうのは、
どうなんだろう、意味があるのかねそれ、意味っていうか、それって同じ線の上で並んでいいことなのかね。
他に想像がつかないのだからしょうがないじゃないか、おいらの貧困も想像できないような貧困な想像力では、だってよ、だって、納豆は茶色だし、海苔は黒だし、味噌汁のわかめは緑だし、卵は黄色だし、って、やっぱりゴハンはね、キャンパスなんだよ、そのキャンパスの上に色、もとい、おかずを広げていくんだよ、ゴハンは確かに、繰り返しになるけど、ゴハンは確かに白くておいしいけどさ、
でも、やっぱり飽きちゃうっていうか、他のも欲しくなるっていうのは理解できるでしょ、納得してくれるでしょ、そういうことだよ、そう考えていくと、白いゴハンっていうのはアートだよ、芸術、
だからこそ、料理をする人っていうのは、とても繊細な人のはずなんだよ、もちろん、おいしいご飯を作る人っていう前提があるのだけどね。
そんじゃぁ、このゴハンを炊いて、玉子焼きを焼いて、味噌汁を作った私は、とても繊細で、偉くて、天才で、美人って言うことになるね。
そそ、まさに才色兼備で、ゴハンのようにすばらしい人だ。
それって誉めているのかバカにしているのか、わからないけど、ゴハンのようにおいしい、もとい、うまい話じゃないわね。
なんて考えいるうちに、私の1日は始まるのだ。