気がつくと、もうすぐそこに夏が迫っていて、
一年の早さというものが身に染みるような、だからといって、何をするわけでもなく、
今年こそは!と決意したのも遠い昔のように思うのです。
夏といって思い出すのは、小学校の頃のプールの補習授業であって、
その当時の私は、25メートルプールすら泳げないのでした。
だから、夏休みに呼び出され、特訓を受けたのだけど、
今にして思えば、その水泳方法は、クロールというよりも、溺れているような水泳方法で、
「オボレール」とでも言うべきものだったと思う。
水をかく度に水を吸込み、ゴホンゴホンとむせては、足を着くと失格になるため、
何とか、足だけはつかないように、溺れながらにわらを掴むような仕草で、
何とかその状態をキープしては、再び、前へごぎだしていたのでした。
それ以来というもの、私の水泳方法は、平泳ぎのみ。
顔だけ水面のちょこんと出して、両手で目の前の水をかき分け、
決して飲みこまないように最善をつくすという泳ぎ方になったのです。
だから、じゃぁ、平泳ぎが得意かというとそういうわけでもなく、
もう何年も、プールやら海にやらへ行っておりませんし、行きたくもありません。
だって、プールは、子供たちやら人やらでごった返すし、海はベタベタするし。
どちらも、鑑賞専用です。
夏の海で、ぼんやりとするなんて素敵なことだと思いませんか?
そんな子供時代に目を細めて思い出すものが、もう一つ。
北野武監督「菊次郎の夏」。
夏休み。小学生の正男が、遠く離れている暮らしている母親に会いたい言い出し、
一人じゃ危ないということで、おじさん(北野武)と母親に会いに行くという物語。
この映画の好きなシーンは何といっても最後。
(見てない人はごめんなさい)
正男が、おじさんに向かって、「名前なんていうのー?」というと
おじさんが「菊次郎だよ!菊次郎だよ、バカヤロウ!」と照れくさそうに言うのである。
名前というのは、とても不思議だ、と思う。
仕事場などの公的場では「~さん」「~くん」と、なんの抵抗もなく使うのだが、
対象が身近な人になると、途端に何だか照れくさくなってしまう。
長く連れ添った夫婦なんかを想像してもらうと、わかりやすいかもしれないのだけど、
「おい」とか「なぁ」とか「あんた」とか、名前で呼べなくなってしまう。
悪気があるわけじゃない。
何だか照れくさいのだ。
おじさんも、正男に、名前を聞かれて名前を呼ばれて、それが何だかとっても
恥ずかしくて、嬉しくて、思わず「菊次郎だよ、バカヤロウ」なんて言ってしまうのが、
北野武監督っぽくて、好きだ。
(テレビやら本やらで見ても、北野武さん自身がシャイなのだろう。)
もうすぐ夏が来る。
おじさんと、少年の季節がやってくる。
今もどこかで、
「おじさん、またどっか行こうよ」
「行かないよ!バカヤロウ」
なんて会話をしているのだろう。
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