2011/04/23

わたく詩ダッシュ


こうして私の一年にわたる作業も終ろうとしております。
私はといえば、私なのですが、言うなれば私ダッシュがここにおります。
そうして、1年にわたり、私の脳の記憶と呼ばれる汁をストローのようなもので、チュチュージュジュージュルリーと啜り上げて、それば毎晩のこと。
私の脳のつむじのところにあります穴から、抽出して補完して保存して。
それが私ダッシュの作業でございました。
私ダッシュは、私の住んでいる世界と全く同じような世界に住んでおりますし、そこには東京タワーもありますが、福岡ドームだってあるのです。
リーマンショックも派遣切りの問題も他人の事ではありません。
ただ、ただただ、1つ大きな違いがあるとすれば、私たちはソレ、言うなれば、記憶を記録として考えております。
私ダッシュが啜り上げたソレ、言うなれば、記憶という記録を、補完して保存して。
銀行のようなものが私の世界にあると考えてくださればそれがよいんじゃないかと思います。
私ダッシュが私から吸い上げた記録を銀行のようなところに、預けいれます。
もちろん全てを預けるわけではありません、私ダッシュが必要だと思ったことだけを預け入れるわけですが、
それは私が記憶を落っことしていることを正当化することと何の関係がありましょうか。
それは間違いないほどに言い訳でございます。
私の世界にもあるように銀行に預け入れれば利子のようなものがつきます。限りなくゼロに近い金利ですら利子がつきます。
私ダッシュの世界で補完している銀行にだって利子のようなものがつきます。限りなくゼロ近い金利ですら利子がつきます。
大きく分けて二つです。本当はもっと細かいのですが、それを語るには時間がかかりすぎます。
ですから、二つ、簡単に言うと良い記憶と悪い記憶です。
先ほども申し上げましたが、預け入れたものには利子がつきます。
良い記憶を沢山預け入れれば良いことに利子がつき、悪い記憶を沢山預け入れれば悪いことに利子がつきます。
私の世界ではどこぞのお寺さんの家の方でしょうか、笑えばいいことがある、笑う門に福がくると、
私の記憶の中にあることを見たことがあります。
たまに、そういった世界に精通している人が私の世界にも何人かいらっしゃるようですが、そういうものなのかもしれません。
良い記憶を沢山預け入れれば、それが記録となって利子を付け、それはもう雪だるま。
でも、どうしてもどうしたって悪い記憶ばかりを預け入れてしまうことだってあります。
私ダッシュの世界では私ダッシュ以外にもあなたダッシュ、アナタダッシュ、Uダッシュ..他の他人がおります。
記録の交換とでもいいましょうか、私の世界同様に話をするのですが、それはヒドイものだってありますし、聞いている私ダッシュだって良い思いはしません。
そういうものなのです。
だから、私ダッシュの銀行では一年に一度ゼロにしましょうという話になっています。
それが12月31日のこと。ペイデイと呼ぶ人もおります。
そうして、今日の夜、私の1年にわたる作業が終ろうとしています。
PostScript.
記憶でもない記録でもないものがあると聞きます。
それについては、またどこかでお話をしましょう。

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