2011/05/18

言葉にこんがらがって。


大地震以降、原発の必要性が見直されていて、
浜岡原発も停止になり、そもそも原発というのは、安全性の面からみてもコストが高いのだ、夏の電力はどうするのだ、いや、そもそも電力がない今こそ、
我々の便利すぎた日常を考え直すべきではないのか?といった指摘も見かけるわけだけど
も、そんなことを言っている一方で、夜中のコンビニはいつでも賑わっているし、男女は愛し合っているし、ニュースのスタジオには花が爛々と咲いていたり、ニュースキャスターの皆さんは涼しげな顔で、これまた明るいスタジオでニュースを読み上げているのだから、なんの説得力もありませんよー貴方たち、っていう矛盾!

そーいえば、ニュースを見ていてあまりに驚いた言葉があった。
地震や津波には自然のことですので、仕方ないにしても人が造りしもので人が被害にあってはならない、あらゆることに対応出来なければならない、今回の原発事故は人災である!と、言葉を強くしている方々から言葉で、
それは、「想定外の想定」という言葉で、驚きますよね。皆様。
想定外だから、想定出来ないことなのに、それを想定しろっていうのは、
つまり、想定内ということで、この矛盾!

しかしなぁ、しかしよ、人は人として、人だからこそ、いえ、万物に置いて、何か矛盾を抱えているのだし、今ここでそれを言っても仕方ないのよね。
殺生はなりません、と言いながらも、動植物を食べなければ生きていけないのだし、
人をバカにしてはいけませんと言いながらも、その上での小さな自尊心でしか生きていけのだし、ワタシは。
例えば、矛盾がない世界っていうやつを想像してみると、それはもう自然そのものであって、そこに理論や理屈や論理というものがなく、そうして考えていくと、言葉というものが生まれたのが、一体どれぐらい前なのかわかりませんが、言葉というもので表現できることっていうのは実に少なく限られていて、その言語で万物を表現するのはとても大変なことなのでしょう。
人間を動物として考えるのならばその歴史からみたら、言葉を使っている年月など少ないもので、その歴史を言葉で語るなどと何とおこごましい!

ドラッカーも、集団の組織として働くようになったのは、ここ数百年のことで、未だ持って組織というものは完璧ではなく、その組織のあり方というものやその中での振る舞いなどは、未だ過渡期、発展途上であり、まだまだ改善する余地があると言っていた気もする。

嗚呼、人間の歴史、言葉の歴史なんて浅いものよねぇ。

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