2011/06/10

いつか、コーヒーを飲みながら語ろう。


道路の真ん中にさ、コーヒーを置いてみたいのね。
それをそうね、10分でいいから眺めてみたいんよ。
道路がコーヒーの温度を奪っていって、それでホットコーヒーがアイスコーヒーになって、車が来てこぼしていってさ、それでも、コーヒーは最初から最後まで、液体なのよね。
道路の灰色っぽい面に対して、コーヒーの茶はとってもいいと思うのよ。もう、絶対にいいと思う。
鮮やかで艶やか。でね、その光景をいつかコーヒーでも啜りながら言ってやりたい。
コーヒー屋でね、隣の席の人に対して言ってやりたい。
私は、コーヒーを、道路に置いて、それを眺めていたら、車が通ってコーヒーなんて目に入りませんっていう具合でこぼしていってね、
一体にコーヒーをばらまかれて、一体に香りが香って、茶色が広がってね道路の面に敷かれている灰色のアスファルトがそれを助長して、
その灰色と茶色の交わる光景の姿。
きっとその人はその光栄を想像して、嗚呼って身震いすると思うのよ。


100本入って、この価格。頼もしいよねぇ。

2011/06/09

本とじじぃと書く理由


その本屋に初めて入ったのは、中学生ぐらいのときだったと思います。

店内は新刊やら返本を忘れた本やらで溢れかえり、それでいて暗く、さらにカビくさいというもので、
でも、中学生でもエロ本を売ってくれるという店で大変に重宝していたお店で、借金があるだの、店主に名前を覚えらると名前で呼ばれるだのとまぁ、本当に変なお店でした。
その古本屋のおじいさんは、奥の方にいつも座っていて猫と話をしておりまして、今日は寒いねぇーお客さんが来ないネェーなどというのですが、
私がいるのだから客はいるはずですが、まるでいないように話をしては、そういったことはそれほど問題ではないようでしたし、それが普通の光景として馴染んでいました。

そんなおじいさんですが、私たちの欲しい本は絶対に探してくれると評判で、
例えば恋愛の悩みを言えば、そこの上から2つ目、会社の悩みを言えば、左側の下にあるやつ、家族の問題はコレ、エロ本ならこれだ!絶対!!となんでも本を紹介してくれました。

そのおじいさんがいつも猫に話していたことがあります。
本はヒントをくれるけど、それはヒントで答えじゃないよ。
本は答えをくれないよ。
本を読んで、そうだ、その通りだと思ってもそれは嘘。
いつか自分で悩んで考えてそれでハっと答えが出たときに、その本に書かれていることの意味がわかるってもんだ。凸と凹みたいなもんだね。
だから、いくら本を読んだって答えがわからないことばかりだ。

それを聞いていた私が、ならばその答えの出し方がわかるような本はないのですか?と口を挟むとギョっとして、そんなものがあるもんか、
あるとすれば、それは自分で書くしか無いはずじゃないか。馬鹿者。
と答えて、それでも、それでも、もしもキミが何かを書こうと思うならば、それはきっと誰かのヒントになるだろうね、と言って、
再び猫にご飯を食べようかねーお散歩に行こうかねーと話かけていました。

その間、猫は寝てみたり、そっぽを向いてみたりしていました。


誰か、プレゼントして下さい!

2011/06/08

断捨離は節約と違うと思うの巻。


ふと、断捨離の根本として思ったのは、
断捨離=節約ということじゃないということで、
実は、それがとても重要なんじゃないかと思うのです。

節約をしたい、だから不要なものを捨てて、不要なものを買わない、その結果、貯金が出来る。

という流れではなくて、
自分にとって、今必要なものが何かを考える、
その考える行為が断捨離かもよ。

断捨離と言うと、服を減らそうとかテレビを売ってしまおうとか、
手段はあるのだけど、
服がたくさん必要な人はたくさんあって良いはずだし、
テレビが必要な人は、1日テレビをつけていたって良いと思う。
でも、必要じゃない人は捨てちゃおう!っていうことで、
繰り返しだけども、それを考えるのが断捨離よ。きっと。

本やblogに書いてあるからマネをしました、だと結局、
一過性のブームで終わってしまって、
また別のものを買ったり、増やしたり、
その逆で、節約や買わない、ばかりを意識してしまって、
生活が不便になったり、それが原因でストレスになってしまっては、
断捨離以前の問題で宜しく無いわけでして、
高額でもお金をかけるところはかける、
物理的に量が多くても必要ならばたくさん置いてみる。

まとめの繰り返しだけども、
自分の生活に合ったものを考えるのが断捨離で、
物がなくて不便で、ストレスになったり、生活の効率が落とすのは、
断捨離でも何でもなくて、
木を見て森を見ないのと同じかもですよ。


無駄だと思っていても欲しい物がある!

2011/06/07

冷え性(加筆・修正)


ボクが足の冷え性が進むということと、
地球の温暖化が進むということと関係があるのかと考えて見たけれど、
考えれば考えるほどに、
全く関係がないという事実を認めなければならず、その事実を受け止められずにいるのが、
ワタシは今、浴槽。

お風呂に入るときのことを思い出し思い出し、書いてみれば、
冷えきった足を湯の中につっこもうとすると、
足は冷たいことに少しの誇りでも持っているように、
温かくなんかなるものか威勢よく攻撃を開始。
相手は、温かくしようとする軍勢。
これを世に言う、冷え性の合戦と言うべきもので、
大将は、冷え将軍、対象は冷え性。
とインを踏んでみて、一人、フフフと笑っている、ワタシは今、浴槽。

だけども、多勢に無勢で、
スパルタカスの300人をも凌ぐ冷え性軍も、
戦国時代にタイムスリップした自衛隊であっても、
それらは関係なく、
ホクホクとしてきて、負けるのであった。
意図も簡単に。簡潔。

ここで取り残されてしまったワタシは、
なんらこともない、「嗚呼・・」と今日の疲れを、この二文字に託すのです。
ただ、それだけなのです。
それで、おしまい。

お風呂から上がって、30分もすると足がこれは作戦なんです、とでも言うように再び冷え始めるであろう。
彼は言う。
「パール・ハーバーを忘れるな!」

しかし、ワタシは今、浴槽。
そんな先のことを考えるにも値しない。

修正前の冷え性リンク:冷え性

ファンならずとも、欲しいブルーレイ!

2011/06/06

キュウリは嫌いだが、好きなモノがある。



キュウリが嫌いなワタシにも好きなものがある。
それは決して不思議なことではないし、驚くことでもない。


平日の午後の3時。
ワタシは図書館にいる。
館内には、平日だというのに、学生がいて、この本を読んだことがあるだの、おもしろかっただのと
騒いでいて、外には、右手のビールの缶を持ったオヤジがいて、ベンチに座っている。

私は、キュウリが嫌いだ。
しかし、ふ菓子が好きだ。


ふ菓子の「ふ」の部分がお麩っぽさを表わしていて、字も好きだ。
「ふ」を「麩」なんて書くと、あのふっぽさが大にしになる。


ふ菓子の魅力を語るのは、実に難しい。
というのも、ふ菓子の魅力は魅力がないところが魅力なのだ。
グルメレポーターが言う。
歯ごたえがあっていいですね!この弾力のある触感がたまりませんね!
言っておくが、ふ菓子にはそんなものはいっさいない。
断じて無い。
むしろ、その逆である。
そこにあるのは、途方も無いカスカス感。
そこにかすかに存在する感じ。
ないようで実はある。この確信。
そうして、コーティングしている砂糖。
表面前面に押し出されているにも関わらず、カスカスのふには太刀打ち出来ないのだ。


そんなことを考えながら、
外を見ると、さっきのオヤジは自転車に乗って、遠くへ行ってしまった。
相変わらず、学生は、これはつまらなかっただの、エロイだの騒いでいる。


周りの人は、ワタシがふ菓子の妄想をしているなどと思ってもいないだろうし、
ワタシがふ菓子を好きだということも知らないだろう。
そして、決して教えるつもりもない。
教わるつもりもないだろう。


私は村上龍の「希望の国のエクソダス」を手に取る
物語には、ふ菓子というフレーズは一切出てこない。
しかし、何故だろう。
主人公でもあるポンちゃんを見ていると、ふ菓子のような掴めそうで掴めない、
実在しそうで実在しない、偶像とでも言うのか、魅力が溢れている。


図書館の帰りに、スーパーマーケットに寄ろう。
ふ菓子を買おう。
口の中がカラカラになるまで、食べよう。


関連キュウリ:ワタシはキュウリが嫌いだ。



今、たった今、聞いています。

2011/06/05

15秒の真理。

いつだったか、多分、小学校頃だったと思うのだけど、
わずか15秒のCMのセリフが忘れられず思い出すのは、
不平不満を言うよりも、進んで明りを消しましょう。」という言葉。


ハッキリと覚えていないのだけど、恐らく、
部屋に入ると電気がついてなくて暗い。
もしくは、部屋に何人か人がいて、暗くなったから電気でもつけようか、という話になったのかもしれないけども、
何にせよ、
暗い、暗い!と文句を言って誰も自ら電気をつけようとしないのだろう。


そこで、すかさずナレーションが言う。
不平不満を言うよりも、進んで明りを消しましょう。」


15秒の真理とでも言うべきか、んま!ってなるしかなくなる。


「小さいことにくよくよするな!」にも同じようなことが書いてあって、
街か口園か、住んでいるところにゴミが落ちていることが気に入らない作者は、
いつも「またゴミが落ちている!」と不平不満を言っていた。
ある日、自分でゴミを捨てよう!と思い立って、ゴミを捨てるようになると、
周りがキレイになって、そこで過ごす自分の気分もよくなったという。
そうして、その活動は付近の住民へと派生していった。


という話で、三毒追放でも書いたのだけど、
文句ばかりを言っていると、気がつくと自分の気持ちも荒んできて、
結局、自分が苦しくなってしまって、楽しい思いも久しからず。


それが、15秒の真理です。


前に書いた:三毒追放

2011/06/03

断捨離は先人の知恵でしょうか。

断捨離で検索してこちらをご覧になる方も多く、
それでいて、断捨離の本を一冊も読んだことがないことに関して、
何やら申し訳ないやら・・どうしたらものやらと思いながら、
立ち読みだけでも、立ち読みをしてみれば、

断捨離をしながら、良いものにはお金をかけよ!生活には統一感をもたせよ!

という記述がありました。
案の定、時間にして1分程度サラリと読んだだけで、それが一体なんであるか。
しかしながら、年配の主婦の方々に聞いてみれば、
それは断捨離以前に当たり前の話だという。
つまり、断捨離とは特別なものではなく、生活の知恵のようなものに他ならないようです。

つまるところ、貧乏人の銭失いという話で、
もっといえば、安かろう悪かろうである。

こんな経験が多分にして多くの人にあるのではないかと思うのが、
百均の商品。
たしかに、最近は便利なものやデザイン性が高いものも増えているけども、
それは一部で、すぐに壊れてしまうものも多く、
壊れて思うのは、百均だから仕方ないよね・・という具合。
そこで結局、しっかりとしたものを買い直すことになってしまい、
だとするならば、最初からしっかりとしたものを買っておけば、
お金もかからなかったし、2度も買う手間も発生しなかったことになる。

また、安いからといってデザインや使い勝手を我慢してしてしまうのも良くない、
というのも合点がいく。
とくに毎日使うものはそうだろうと思う。
例えば、タオルがボロボロになっているのに、断捨離だから・・などと我慢しては、
せっかくお風呂でサッパリしても、そのボロボロのタオルで気分が悪くなってしまう。
枕でも同じことが言えるもしれない。

統一感を持たせよ!というのは、どういうことか。
それは、好きなメーカーやブランドを持つという点なんじゃないかと思う。
わりと、家の中の家電は全てSONYで揃えていますから!という人がいたり、
お金がある人は、全身CHANELです!なんて人もいる。
それが何なのか?というと、
まず買うときに迷わなくて良いという点が大きい。
一つのメーカーの中で選ぶのと、全てのメーカーの中から選ぶのとでは、その労力の差は大きい。
服などもブランドも同じで、その容姿に統一感がうまれるとスマートに見える。

ここまで書いて、パソコンやらケータイの話やらに派生をしたくなったのだけど、
それはまた別件となる故、後日書くことにして、

断捨離を意識した生活も良いけども、それが苦となっては元も子もなく、
断捨離=節約などと考えてしまって、
趣味を疎かにしたり、楽しみに費やす時間や費用を削ってはならなるまいにと、
あらためて思ったのです。

前にも書いたかもしれないけど、
欲しい欲しいの生活から持たない、要らないの生活を望むなど、
それが良いのか、悪いのか。


買わないけど・・欲しいものは欲しい!
そんなジレンマ。