2011/10/21

図書館にて

いつか行った図書館にて。

世の中のスピードが少しばかり遅くなるような、
そんな午後2時か3時の曖昧な時間
私の記憶も曖昧で、図書館で本を片手に、
現実と夢の間を行ったり来たりしていたのだった。

私の座っている椅子の横には、
勉強机があって、高校生ぐらいの男子生徒たちが座っている。
いつの時代も男子高校生が集まれば勉強するはずもない。
これは、長い年月変わらない、変わりようのない、
宿命であり、北斗の宿命とは重みが違う。

更に隣の机には女生徒たちが勉強をしていて、
しばらくすると、女生徒たちは皆で揃って、席を立った。
女生徒たちが集団で行動をする。
これは、長い年月変わらない、変わりようのない、
宿命であり、南斗の宿命とは重みが違う。

そうなれば、男子生徒たちの、
眠いっていた思考が花開く。
開花!
文明開化!

男子生徒の一人がノートを破り、
何やら書き始めたと思うと、女生徒たちの机の上にそれを放った。

これぞ青春である!

女生徒たちが返ってくるやいなや、
ざわめき立つ。
電話番号やメールアドレス、胸踊る台詞の一つでも書いてあったのだろう。
放課後の教室に一人忍びこんで、好きな子の笛をしゃぶる時代は古いのである。

女生徒たちは、黄色のオーラを纏いながら、仏のような微笑で、
「あなた達でしょ?」といえば、
男子生徒はすかさずいう「俺ら、知らねぇよ!」と言う。

これが、ろくでなしであり、ブルースである!

視線を戻して頂きたい。

彼らの目には一瞬も映らなかったことであろう、
その横にいる31歳の私の元へ。
そして、私は「知ってるよ」と、誰にも聞こえない声で呟いたのである。
南無。

2011/10/20

雨には色がない、なんてことはなく、
あの日の言葉を思い出せば、
びっしりと色が詰まっていた。

2011/10/18

朝の光が波のように押し寄せてくる
午前6時。
世の中の大半の人も活動をはじめ、
私の中の血も活発に動き出す時間なのに、
脳だけが動かず、めっさ眠い。
アラレちゃんふうに言うならば、めちゃんこ眠い。
そろそろ起きようよ、脳。

2011/10/14

トイレ

世の、諸君。
知っておられるか?
男子たちは、隣の知らぬ人と、ここで肩を並べ、腰を並べ、背中を向け合い、
便器に立ち向かい、自らの不要となったものを開放し、排出していることを。
その瞬間は、無防備かつ無守備であり、
何も手につかず、つけることもできず、
たまに偉い上司などが隣にいらしゃった際のことは、
想像するも悶絶であり、
止めるに止められず、しかしながら、開放状態での1分は10分にも感じられ、
1メートル隣の距離でさえ、フォークダンスで手と手を取り合う男女の気まずさに相当し、立ち去る際は「お先に失礼します」と言うべきか、
何をもって「お先」であるか、
この日常における、河原の場における、上下関係のシビアさを葛藤を。
そうして、解放され、手を洗う際の口には、
ハンカチーフが咥えられており、その口の可愛さたるや!

2011/10/11

夕焼け小焼けで。

子供の頃を思い出せば、
まずは身体が動いていたという「感覚」が残っていて、
大人になって日頃を思い出せば
まずは頭が動いているという「記憶」が残っていて、
頭が重いわ、頭が。

2011/10/10

水の思い出

「水」の思い出というと、私は中学校の時を思い出す。

それは英語の授業で、
英語で詩を書きましょう、というものであった。

私は英語の知識も乏しかったので、簡単な単語で書けるものを考えた。

水は大きい。
水は小さい
水は早い。
水は遅い。
水は白い。
水は黒い。
水は水だ。

と言った内容のものを書いた。
中学校の英語の先生は、アナタの詩は深いものだと褒めてくれて、
私は今でもそれが嬉しくて、覚えていた。

その先生の思い出として思い出すのは、
ちょうど5限目の授業のこと。
4限目が終わり、給食があるのだけど、
給食の後だったこともあり、教壇が汚れていたのだ。

5限目が始まり先生が入って来ると、
先生は、これは何だ?授業が出来る準備ができたら呼びに来なさい、
といって出て行ってしまった。
中学生の私は、何が起こったかわからなかったし、
本当にドラマのように出ていく人がいるのだと、驚いたのだけど、
教室全体がざわつき、結局、学級委員長が謝りに行った。
その後、先生はさわやかな笑顔で登場し、
一言、どうした?空気が重いぞ、と言うのであった。

記憶は記憶を呼び出してくれて、
そのきっかけは、とても些細なものであるなぁ・・と、
そんなことをまた思いだした

そんな水の思い出。

2011/10/07

静岡の映画館が閉館



駅前にシネコンが出来るために、
静岡に昔からある映画館が閉館となる。
中学生ぐらいからか、もう何百回も通ったであろう映画館。
入り口には年配のもぎりの人がいて、
場内にはポップコーンの匂いが溢れている。
ショーウィンドウには、ポテトチップスと並ぶように、
パンフレットなどが置かれている。
ラウンジには椅子が置いてあり、映画のセリフや音が漏れでてくる。
館内の自動販売機は少し高い。

劇場に入るための階段があり、
見終わって降りてくる人は皆、往々にして笑顔で降りてくる。
友達や恋人と降りてくる人は感想を語り合い、
一人で出てきた人は、どこか難しい顔をしていた。
見るために登っていく人は皆、ワクワクした顔をしていて、
その手には、映画の券が握られている。

シネコンの利便性も理解出来るのだけど、
座るとお尻が痛くて、それでいて、足も伸ばせないような、
あの座席の感覚を思い出す。

2011/10/06

スティブー・ジョブス氏 死去


スティブージョブスが亡くなった。
彼の名前を初めて聞いたのは、10年程前だったかもしれない。
その後、ipodで音楽を持ち歩くというイノベーションを起こし、
iphoneでは、携帯電話のあり方すら変えてしまった。
しかし、私は、彼のことを語るには、あまりに彼のことを知らない。

56歳でこの世を去った。
スタンフォード大学のスピーチはあまりに有名で、
彼は、スピーチの中でこんなことを言っていた。

『「今日が人生最後の日だとしたら、私は今日する予定のことをしたいと思うだろうか」。
そしてその答えがいいえで あることが長く続きすぎるたびに、私は何かを変える必要を悟った。』


彼の56年間に、「NO」という答えはなかっただろう。


先に私は、彼のことをあまりに知らないと書いた。
しかし、私は彼のことを彼以上に知っていることがある。

彼が亡くなって、世界中の人が悲しんでいる。
誰もが彼のスピーチをもう一度聞きたいと思っている。

そのことは、彼よりも知っているつもりだ。

2011/10/05

言葉は難しい。


正しい、言葉を選ぶのは難しい。
そもそも、正しい日本語は何か?という点で、
曖昧な理解しかしていないし、
敬語や謙譲語といったことも含めて、
それ以前に、その状況正確に表現できる言葉の選び方というものへの訓練の必要性を感じている。
よって、blogを再開させた。
誰のためでもなく、自分のため以外の何ものでもなく。