2011/05/11

真っ暗な中で苛立って


ワタシは苛立っています。
真っ暗な闇なのか夜なのか洞窟なのかわからない中で。
ワタシは苛立っています。
ここは、一体どこぞ?どこにいて、進んでいるのか下がっているかわからんのよ。
それでも、隣にまたは周りに人がいるような気がして、ワタシは助けられる気になります。
ぁあぁあ。これが独りだとすると、大変なのことでありました。ありがたい、ありがたい。
ワタシは苛立っています。
しかし、その隣に、または周りに居る人が暗い故に見ることがかなわないからです。
どこにいるかもわからないからです。
ワタシは苛立っています。
いつまでこうしているのか、明かりはないのか、どうしたらいいのか。
それでも、ワタシには知恵と情報があります。
ワタシは探しています。
かつての人は火をおこして、闇を照らし、やがて電気を作り夜を昼に変え、
いつかいつの頃からか人は歌を作り心を照らしたのだ。
ワタシは探しています。
それはわかっている、わかっているのだから、絶対にいつかそれが叶うはずである!
ワタシは探しています。
その火か電気か歌か、それに変わる何かかどこかにあるはずで、それを必ず見つけ、
隣または周りにいる助けてくれた人を照らすのです。
ワタシはいつか見つけます。
その確信だけは持っています。

2011/05/10

断捨離と餓鬼と。


先日、断捨離のことなんて書いて
嗚呼、そういえば書こうと思って忘れていた!なんてことを今になって思い出したのだから書くのですが、その前に、断捨離って何が良いのよ?
っていうことを、断捨離関係の本を1つも読んだことがない私が思いを巡らせて書くのも
どうかと思いながら、それでも筆をすすめてしまうあたり、ご理解いただきたい。
さっそくなのだけど、
例えば、テレビって何気なく見ている人が割と大半と勝手に思っている部分もあるのですが、
民放とNHKを合わせると、8局ぐらい?あります。
それに、スカパーやらWOWOWやらを合わせると、何百っていうそれはもう銀河の星の数みたいなもので、
でもしかし、今、みれるテレビっていうのはその中に1つで、何を見ようかテレビ欄を目を皿にしてみてみたり、何が良いかとテレビのチャンネルをカチカチと変えるのだけど、
でも、例えば、最初からNHKとNHK教育なら、どっちかっていう、シンプル。
断捨離ってそういうことなのだと思ったよ。
靴だってそう。服に合わせて、あれやこれやっていうのも、わかるのだけど、
靴の数を2つにしちゃって、そこからさかのぼり、その靴に合う服しか買わなければ、
服の数だって、必要最低限のもになるシンプル。
吉野家だってそう、牛丼か豚丼の男の選択しかないのだ!(正確には、トッピングとか種類もあるけども・・)
そのシンプル具合が断捨離なのだと思うのだけど、もっと・・なんて思ってしまうのも、性。
でもしかし、餓鬼よ。
餓鬼というと、服がボロボロで身体はガリガリを想像して、
あれは、食べるものがない、着るものがない、貧乏なことなものを餓鬼というのだ、
と思っている方もおられるでしょうが、それはどうも違うようで、
餓鬼には「無財餓鬼」と「有財餓鬼」との区別があって、
前者は常に物を欲しがる類。
後者はあり余るほど豊かな金品に恵まれながら、
けちんぼで一層欲心をつのらせ、そのためにかえって苦しむ類。
なのらしい。
ついつい快適な生活に慣れすぎてしまって、もちろん、それは決して悪いことではないけども、
もっともっと!となるなる前に、これはこれで満足、良いかもしれないな、
などと、餓鬼のようになってなければ良いのだけどと思うので御座います。
それでも、誰かが消費しなければ経済は活性化せず・・何やら面倒。
だからってことでもないのだけど、毎日が少しばかり心身ともに豊かになるためにも、好きなもの、良いものには、満足がいくようにお金をかけるのが、良いよねぇ。

2011/05/07

未来を描く子供たち


浜岡原発への停止命令には、書いている今、
未だ答えが出ていないのだけど、
原発とか全くわからなっていない私ですら、毎日のニュースで気になっているわけで、
どうやら世界的にみても原発というのは30年程で廃炉にするらしく、
長くても40年ほどらしい。
そうして、時間が経って、きっとその当時は、原発こそが最大限に効率が良い
発電方法だと日本各地、世界のあちらこちらへと作っていたのだろうけど、
今となっては、原発を止めろという空気で、
時代は新エネルギー!ソーラー発電、風力発電!エネルギー効率が上がったからなのだ!
と、世界というのは、変わっていくのだよね、ということを実感するわけで、
人が想像するものは全て創造出来るという人もおり、
例えば、遠くの人と話したいと昔の人は願ったのだから、電話が生まれ、常に話したいと思ったのだから、携帯電話が生まれ、
空を鳥のように飛びたいと思ったのだから、飛行機が作られ・・
未来を考えることは何やら楽しい。

わたくしの話でいえば、
子供の頃にあんなに好きだった、エビやカニは、今じゃ無理。
喉が痒くなって、息苦しくなって、先日は、全身に蕁麻疹がでる始末。
子供の頃にあんなに好きだった、ゲームも、今は一台のゲーム機もなく、
やりたいゲームは脳トレやえいご漬けという始末。
つい5年ぐらい前まで書い集めていたDVDも、えぃ!っと売ってしまえば、
今は、劇場で見る映画こそが至極!と思う始末で、
レンタルすらもしなくなったのです。
子供の頃は、いつも自転車をこいでいたけど、今は当たり前のように車を運転するし、
子供の頃は、ワサビなんて、ツーンとするだけ!って思っていたけど、
今はそれがないと何やら寂しいし、
新聞なんてテレビ欄すら見なかったのに、
今じゃ1面から読んだりして。

「未来」なんて書くと、それはそれは大きな漠然としたものだけど、
「明日」の積み重ねが「未来」になるのだし、
明日の小さな変化が、未来の大きな変化になるのだし、
そうやって私たちはやがていつか、死んでいくのです。

未来を想像するのは何やら楽しい。

未来を「想像」するのは、誰にでも出来るし、その想像した未来が
やがて、その時になって「創造」されるのだろうと思うと、やっぱり楽しい。

10年後の自分をイメージして、それに向かって明日から行動せよ!努力せよ!
と説く人もいるのだけど、
そんな立派なことじゃなくても、明日、自分が楽しいことをすれば、
それがいつか、大きな楽しいことになって、
生きる力みたいなものになるんだと信じている。
わたしは。

だから、やっぱり、未来を想像するのは何やら楽しいのだ。

2011/05/05

嗚呼、勤勉



地震の話ではないけれど、
どうにも、普通に生活をしているだけでも、苦しいというが的確はどうかはわかりませんが、
うまくいかないことやら、辛いことやら、どうにもならいないことがあって、
嗚呼、なんでメンドクサイ、嗚呼、なんて辛い、嗚呼、御免被りたい、
とか何とか、色々思うわけで、
私の場合は、朝早く起きることすら思うのであって、
それはだって、ゴールデンウィークだっていうのに、朝から仕事に行かなくちゃいけない
のだから、それに賛同して頂けるはず。
仕事へ良く途中で、出会うわ、見るわ、今日は出かけちゃうぞ!っていう人ら。
さも楽しかろう。
楽しかろう。
明日も休み、明後日も休み、という気分は楽しかろうに。

そうして、そういうった気分になったときの思考回路はショート寸前で、
それが往々にして大切で、
現在流行っているのは、考えないこと。

あのマザー・テレサも言っておられます。
「明日のことを心配するのはやめましょう」と。
ナンシーウッド著の書のインディアンの哲学でも、
「今日は死ぬのにもってこいの日」と言っておられます。
お坊さんの小池龍之介だって、
「考えない練習」という本を出しておられます。
(読んだことないのだけど・・)

少しばかり意味は違えど、
明日どころか、10分先を考えて、気分を重くするよか、いっそ考えない。
口を半開きでぼんやりとやり過ごす。
10分先どころか、5分先すら考えないで、今するべきことして、あとは考えない。

そうか、考えるから苦が生まれるのだ!と、悟るのでした。

しかし、それでも、明日も朝から仕事。
5分先を考えないと書いたところで、無理をすれば明日の朝起きるのが辛くなる
のは目に見えているわけで・・前言撤回。
仕事に遅れるわけには、支障をきたすわけには・・。
なんていう日本人の勤勉さ。
嗚呼、勤勉。

思考、思考こそが敵であるぞ!

2011/05/03

断捨離の世の中、ブームのブーム


まだまだ余震が続く毎日で、地震というものが頭から離れないけれど、
いっときの自粛ムードもなくなり、
今度は今度で、消費ムードになっていて、
結局、誰しもが何も考えていない、何も思っていない、テレビやら新聞やらが
示していることに関して、
あーそうか、そうなのか!と、右へ左へと流されている気もする日々、
最近の巷のブームは、断捨離だそうで、断捨離をする人を、ダンシャリアンとも言うそうですね。
もしかすれば、もうそのブームも終わっている可能性も否定できませんが、
えらく前に、おばさんのことをオバタリアンと言ったりしていたけども、
何とも安直なネーミングに唖然とするのでした。
んでは、断捨離とはなんぞやとwikiを見てみると、
"ヨガの「断業」、「捨行」、「離行」という考え方を応用したもので、
人生や日常生活に不要なモノを断つ、また捨てることで、モノへの執着から解放され、身軽で快適な人生を手に入れようという考え。単なる片づけとは一線を引く"
らしいのです。
そうして、その本が大変に売れていたらしいのですが、そういったものを買うという行為は断捨離に反することはないのでしょうか?なんて、子供の揚げ足取りみたいなことを思ってしまった自分が恥ずかしく、そういった細かいことを気にしない、そういったつまらないことを考えないということこそが、断捨離の一歩なんじゃないかと思った次第なのですよ。
いいね。断捨離。
断捨離しようと思っているんです。
しかしねー。物があることが幸せだと教え込まれてきて、子供の頃からアレが欲しい、
コレが欲しいとダダを捏ねてきたのに、今度はアレもいらない、コレも要らないっていうのは、
なんていうか贅沢な気がして、
欲しがない贅沢っていうのも、究極といえば究極な気がするし、
それでも、欲求があるから生きていけるわけですし、
今は、こういった仕方もない日記を書きたいという欲求が些か強いです。
捨てられるものがあるっていうのは、贅沢。
残すものがあるって贅沢。
今日がある贅沢。
贅沢だということを忘れてしまう贅沢。
皆で必死になって、贅沢を幸せを確認しているようで、
何だか切ないねぇ。



2011/05/02

オレ、つーかー。俺様。2


久しぶり、オレだけど。

オレっつーと。ナニをしていたかっていう質問に答えるわけだけど、
いや、まだ聞かれてないけど、聞かれることはわかってるし、その手間っていうか、手順をはしょったわけね。
で、ナニをしていたのかって言う話なんだけど、
留学。駅前。ステイション、ビフォア。

前のダイアリーで、おれは、総理事大臣になるっていう話をしたと思うんだけど、
でさぁ、総理大臣になったときの、マニフェストゥ考えたわけ。
やっぱさあ、後期高齢者医療制度問題とかよ、未曾有の金融危機、食の安全、交通安全とか、
国民として怒ってるわけ。
で。オレが総理事大臣になるわけでしょ?
そしたら、やるね。
ナニをすんのか?
これ!「温めいかがしますか?廃止法案」。
デゥェェーン!
これは、マヂでキテル。
ジャパン列島改造論。

正直ね、日本、政界、ぶっ潰そうと思っている。
英語で言うと、
永田町inジャパンWOクラッシュ。

あんさぁ。コンビニで、まぁ、コンビニでね。セヴェンドェでも、サァーヒュルケィでも、ロゥフソンでも、ファミリィッィマァートゥでもいいけどさぁ、
弁当を買ったときに言うわけ。店員が。キャストが言うわけ。
お弁当の温め、いかがしますか?
ぉぃ。ちょっと待てってキムタク風にいいたいね。
をぃちょっと待てよ!

お弁当、温めますか? 
じゃねぇの?
温め、いかがしますか、ってナニ?
それってよぉ。
体育の授業で、走りますかって聞くのに、走り、どうしますか?って聞くって事だろ。
何か普通に聞こえちゃってるだろ?
オレも書いて思った。ちょっと普通じゃねぇかって。
でもよ。
ハンバーグ屋とか焼き肉屋で、焼き具合どうしますか?っていうのを、焼き、どうしますか?だと恐ええだろ?
レアとかウェルダンとかこたえねぇで、腕で勘弁してくださいって答えちまうだろうが。
わかってるわけか?
この意味。
この気持ち悪い言葉の並び。
言葉の居心地の悪さ。
温めっていう言葉の気持ちになって考えたことあるのかよ。
お前らは。
あいつらはこの気持ち悪い言葉と言葉の狭間で、困ってるんだよ。
あ、オレ。ここにいていいのかな・・。
言葉として気持ち悪くねぇのかな・・。
って、みたな惨めな気持ちになっちゃうわけ。
言葉っていうのは、魂がこもるのな。
言霊。
だから、すげぇぇ、100回言っても足りないぐらい大切ななわけ。
意志、気持ちを伝える手段なわけ。
それをよぉ。なんだと思っちゃうのかね。
この、、うぅんな感じよ。

トイレで、横と横にこられるとちょっとビビるわけ。
わかんねぇだろ。
このキマヅさ。
本屋で、両隣が汗臭いこの息苦しさ。
体感したことねぇだろ。
想像を絶すんぞ。
絶!

言ってやったよ。
店員に。
お願いしますって。
温めてもらったよ。
でも、2回に1回だけ。
毎回は温めてもらわない。
そら、そうだよな。
怒ってんだもん。
だから、2回に1回しか温めねぇ!
男として、武士道として、誠だと思うんだよね。

だからよぉ、まだ、スィー、地元じゃ負け知らずだけど、
いつか、総理大臣になるから。
そんときは、温め、どうしますか?を是正。
最後の1人まで、徹底的に是正。
町内100人をまとめて頭になったオレの実力、見せてやっから。

2011/05/01

やがてくる、過去


若い労働力が消え去ろうという近い未来。
労働力を確保するために人々が何をしたか。
確か、最初の頃は、外国の若者を雇って労働力として確保をしていた時期もありましたが、
いつからか日本と呼ばれる国は、外国と呼ばれる国との境もなくなり、そもそも、誰しもが地球という規模で考えるようになっていましたし、
一国だけで経済や産業を成り立たせることは不可能な時代になっておりました。
例えば、土地があるところは田畑を耕し、海に面しているところは水産を活性化させ、医療が進んでいる国は世界の医療を考え、武力がある国は秩序を保つ。
そうして世界がどうなったか。
世界から戦争がなくなり平和になったのでした。
皆は言いました。人間は愚かな生き物なんじゃない。ことが証明された。
そのときには人類の全ての人が気づいていました。戦争経済の限界や、人の死が、報復しかうまいことを。
かつてテロリストと呼ばれた人たちもおりましたが、寿命には敵うはずもなく自然淘汰されていきましたし、
自分達の領土や権利の主張も、地球規模で考えてなくてはならなくなればならなくなっていったのです。
しかし、戦争や争いがあった時代が長すぎました。
その間、人々の多くは次の世代を残そうなどと考えることもなく、今の時代をいかに生きるか、今日をどう生きるか、一年後は、十年後は、そういったことばかりを考えていました。
そうして、気がついたときには、若い世代はおらず、残ったのは死を待つ者ばかり。
若い労働力が必要になりました。自分たちの面倒を見て、物を作り、サービスを提供する者。それを平等に管理する者。
いつからか食料の維持のため、クローン技術というものが盛んに行われておりました。
良質の肉をより多く得るためには、良質は牛や鳥をコピーすれば良かったのです。
その先は、人のコピーでした。人が人形を作り人が人を作るだけの話。必然の話です。
モラルや神の領域だと言う者もおりました。
しかし、議論する時間、残された時間はあまりに短かすぎました。
コピーされた人間たちに、人権などと言ったものは用意されることはありませんでした。
生まれてすぐの頃は孫の代わりとして、遊び相手として、幼少期にもなればそういった愛好家もいましたし、成年にもなれば労働力になりました。
ただ、その時代が長く続くこともありません。なぜならば、老人は土に還り、その若者は生きるからです。
世界にはコピーされた人間たちが溢れるようになりました。
一部生きているオリジナルの人間は、良くて天然記念物、悪ければ家畜のようなものです。
そうして、最後の人間が死にました。
最後の人間が死んでから数十年。何かを学ぶ機会を与えられなかった人間たちは、
食料を探し、それを育てることを覚え、それが一人ではなく集団で行う方が効率的であることを知り、そのため集団で住むようになり、
合わせて集団でいる方が誰かに襲われることがないことも覚え、さらに大きな集落を作り、
一人の無秩序な行動が集落を破滅させることを知ったからルールを作り、それを全員で守ることを徹底させたのでした。
さらに数十年後。
忘れてはいけない事実。何百年経っても変わらない事実。それは、彼らは人間のコピーであるということ。
やがて、国を持った彼らは、より広いより土地があり、より豊かな資源がある国を探しました。
そこに同じくコピーされた人間がいれば、殺し合いをし、勝った国はより効率的にリスクが少ない戦いをしようと兵器を作るのでした。
そして、戦争が繰り返し繰り返し行われた結果、コピーされた人間もまた気づいたのでした。
このままでは私たちの未来はない。やがて、資源すらなくなり次の世代に文化、宗教、思想すら残すことが出来ない。
彼らは考えました。
人形を作ろう。自分達に似た人形なんかがいいんじゃないかと。