若い労働力が消え去ろうという近い未来。
労働力を確保するために人々が何をしたか。
確か、最初の頃は、外国の若者を雇って労働力として確保をしていた時期もありましたが、
いつからか日本と呼ばれる国は、外国と呼ばれる国との境もなくなり、そもそも、誰しもが地球という規模で考えるようになっていましたし、
一国だけで経済や産業を成り立たせることは不可能な時代になっておりました。
例えば、土地があるところは田畑を耕し、海に面しているところは水産を活性化させ、医療が進んでいる国は世界の医療を考え、武力がある国は秩序を保つ。
そうして世界がどうなったか。
世界から戦争がなくなり平和になったのでした。
皆は言いました。人間は愚かな生き物なんじゃない。ことが証明された。
そのときには人類の全ての人が気づいていました。戦争経済の限界や、人の死が、報復しかうまいことを。
かつてテロリストと呼ばれた人たちもおりましたが、寿命には敵うはずもなく自然淘汰されていきましたし、
自分達の領土や権利の主張も、地球規模で考えてなくてはならなくなればならなくなっていったのです。
しかし、戦争や争いがあった時代が長すぎました。
その間、人々の多くは次の世代を残そうなどと考えることもなく、今の時代をいかに生きるか、今日をどう生きるか、一年後は、十年後は、そういったことばかりを考えていました。
そうして、気がついたときには、若い世代はおらず、残ったのは死を待つ者ばかり。
若い労働力が必要になりました。自分たちの面倒を見て、物を作り、サービスを提供する者。それを平等に管理する者。
いつからか食料の維持のため、クローン技術というものが盛んに行われておりました。
良質の肉をより多く得るためには、良質は牛や鳥をコピーすれば良かったのです。
その先は、人のコピーでした。人が人形を作り人が人を作るだけの話。必然の話です。
モラルや神の領域だと言う者もおりました。
しかし、議論する時間、残された時間はあまりに短かすぎました。
コピーされた人間たちに、人権などと言ったものは用意されることはありませんでした。
生まれてすぐの頃は孫の代わりとして、遊び相手として、幼少期にもなればそういった愛好家もいましたし、成年にもなれば労働力になりました。
ただ、その時代が長く続くこともありません。なぜならば、老人は土に還り、その若者は生きるからです。
世界にはコピーされた人間たちが溢れるようになりました。
一部生きているオリジナルの人間は、良くて天然記念物、悪ければ家畜のようなものです。
そうして、最後の人間が死にました。
最後の人間が死んでから数十年。何かを学ぶ機会を与えられなかった人間たちは、
食料を探し、それを育てることを覚え、それが一人ではなく集団で行う方が効率的であることを知り、そのため集団で住むようになり、
合わせて集団でいる方が誰かに襲われることがないことも覚え、さらに大きな集落を作り、
一人の無秩序な行動が集落を破滅させることを知ったからルールを作り、それを全員で守ることを徹底させたのでした。
さらに数十年後。
忘れてはいけない事実。何百年経っても変わらない事実。それは、彼らは人間のコピーであるということ。
やがて、国を持った彼らは、より広いより土地があり、より豊かな資源がある国を探しました。
そこに同じくコピーされた人間がいれば、殺し合いをし、勝った国はより効率的にリスクが少ない戦いをしようと兵器を作るのでした。
そして、戦争が繰り返し繰り返し行われた結果、コピーされた人間もまた気づいたのでした。
このままでは私たちの未来はない。やがて、資源すらなくなり次の世代に文化、宗教、思想すら残すことが出来ない。
彼らは考えました。
人形を作ろう。自分達に似た人形なんかがいいんじゃないかと。
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